旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-陸軍編

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『陸軍特別攻撃隊』について


【特攻隊については毀誉褒貶いろいろありますが、とりあえず以下の文章を読んで下さい】


《フィリピンのレイテ湾では、すでに海軍の特攻隊が体当り攻撃を決行して戦果をあげていた。日本の陸海軍は、捷号作戦計画になかできめられていた、航空特攻作戦を開始した。
だが、陸軍の万朶、富嶽の両特攻隊と海軍の神風特攻隊は、同じ体当り攻撃を目的としていても、その根本に大きな違いがあった。それは片方には、機首に起爆管が突出していたが、片方はそれがないことが、最もよくその違いをあらわしていた。つまり、万朶、富嶽両隊の飛行機は、体当り攻撃のために、とくに準備、改装したものであった。これに対し神風特攻隊は、第一線にある海軍機を、そのまま使った。
また、使う目的も違っていた。陸軍の特攻機はアメリカ機動部隊を攻撃し、その空母や戦艦を撃沈破しようとした。そこに計算の誤りがあって、結果はそれが不可能であった。これに対し海軍の特攻隊は、アメリカ機動部隊の空母を目標にしたが、その飛行甲板を破壊しようとした。それによって、連合艦隊がレイテ湾に突入すまでの間、アメリカ空母の艦載機の行動を封じようとした。ところが護衛空母の弱い部分に体当りするなどして、撃沈させることができた。
同じ捷号計画できめられたものの、陸軍の万朶、富嶽は、あらかじめ準備され、機体を改装し、部隊を編成した。海軍の神風特攻隊は、応急の処置であり、即決の出動であった。こうした根本の違いを見ないで、陸海軍の特攻隊を同様に考えるべきでない。
しかし、海軍でも、特攻専用の特殊機を、この時期に計画、設計していた。その一つは、前にも記した『桜弾』で、大型機の一式陸攻機に、ロケット推進の小型機をつけ、目標上空に運んで切り離す方法であった。ロケット機には爆弾をつみ、操縦者1名が乗って操縦し、目標艦に体当りする。この特攻機は桜花と名付けられ、沖縄作戦に使われた。高度五、六千メートルの空中で母機から切り離され、マッチ箱の大きさに見える敵艦に向って落下していくのは、人間の感覚にたえられないような、いわば恐怖の拷問であった。
このほか、戦争末期には、陸海軍で特攻専用の特殊機を作ったが、多くは試作に終った。審査部の竹下少佐[筆者注:竹下福寿]が試作特攻機の試験飛行をしていたが、そのなかには、離陸すると、車輪が機体から自動的に離れ落ちるように作ったキ-一一五特攻機があった。これは、一度離陸すれば、帰ってきて着陸することをさせないためであった。これを計画した陸軍航空本部は、そこまでしない限り、操縦者が体当りをしないと考えたのだろうか。これは、是が非でも、ただ操縦者を殺すことしか考えない狂気の計画であった。これほど非人道の兵器はない。
準備され、改装された体当り機を使うことは、すべて残忍、非情であるといえる。万朶、富嶽の両隊は、実に、その最初のものであった。
レイテ作戦の当初、性質の違う陸軍と海軍の特攻隊を同一のものとして報道、宣伝した。その後、特攻隊の出撃が多くなるとともに、その報道、宣伝も誇張され、美談化された。軍部にとっては、特攻作戦は苦しまぎれの最後の手段であった。だが、それが救国、必勝の策であると虚偽の宣伝をして、戦争継続に国民をかりたてた。
その間に、作り上げられた特攻隊という概念が、国民の考えのなかに行わたり、定着した。そして、それが戦後も、そのままつづいていた。》

(「陸軍特別攻撃隊」高木俊朗 著より、一部、原文のまま引用)


隈部正美 少将(陸士30期):元第四航空軍参謀長。8月15日深夜、家族とともに
               拳銃で自決。
水谷栄三郎大佐(陸士34期):航空技術審査部。万朶隊、富嶽隊その他の体当たり
               攻撃隊の爆装計画の責任者。大本営の命令で体当たり
               攻撃機を作ったことに自責して8月15日深夜、
               拳銃で自決。


[筆者注:上記、個々の機体についての記述は多少の偏見がありますが、このような兵器というものを開発、使用するということがどのような事なのか、これを読んだ皆さん考えていただきたいと思います。そして、それを心に留めながら筆者の掲載する記事を読んで下さい]



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