旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-陸軍編

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飛行第七二戦隊


【通称】
威 第一八四三〇

【戦隊長】
津崎 栄介 大尉 (航士51期)

【飛行隊長】
井上 恒夫 大尉 (航士52期)
戸田 公  大尉 (航士55期)
若狭 繁夫 中尉 (操92期・士56期)
石井 良之 中尉 (操92期・士56期)
本行 邦彦 中尉 (航士56期)
古川 孝  少尉 (航士57期)
大越 信幸 少尉 (航士57期)
高垣 春雄 少尉 (少飛4期)     ※総撃墜数:17機以上
高橋 一雄 少尉 (特操1期)
笠原 史雄 少尉 (特操1期)
佐藤 通  少尉 (特操1期)
新谷 肇  少尉 (下士84期)
松川 治雄 軍曹 (少飛10期)
増田 与一 軍曹 (少飛10期)
久保 実  軍曹 (下士90期)
出口 敏治 軍曹 (下士93期)
大西 孝  伍長 (少飛12期)
薄葉 公弘 伍長 (少飛12期)
刀根 四郎 伍長 (少飛13期)

【整備隊長】
葛口 卓  大尉 (54期)

【所属】
第二一飛行団

【飛行団長】
吉岡 洋  中佐 (操23期・士37期)
佐々木光男 准尉 (下士72期)
佐藤 繁  曹長 (下士87期)

昭和19年5月20日
飛行第七一/七三戦隊とともに明野陸軍飛行学校・北伊勢(亀山)分教場で編成され、第二一飛行団(団長:吉岡 洋中佐)を構成した4式戦闘機装備部隊。
編成完結と同時に、大阪府伊丹飛行場に展開、阪神地区の防空任務に就きながら、訓練に入るが、少数の熟練者を除くと、操縦者の主力は特操1期生で、戦力化にはかなりの時日が必要と考えられた。

昭和19年8月20日
相模に移動、京浜地区防空につく。
第二一飛行団はフィリピン方面に派遣される最後の戦闘飛行団として内定(大陸令による発令は11月21日)。

昭和19年10月末
所沢に移動。

昭和19年12月3日
第七三戦隊と前後して、津崎戦隊長以下、四式戦闘機「疾風」30数機で出発。台中で飛行団の主力が集中して訓練と整備を行ったのち、七二戦隊は12月14日以降、ルソン島バンバン基地へ進出した。

昭和十九年12月14日
吉岡二一飛行団長と七二戦隊主力が台中からバンバン基地に向かったが、リンガエン湾付近で多数のグラマンF6F戦闘機群に奇襲され、乱戦の中で3機を撃墜したが、練度不足の戦隊は四分五裂となり、バンバン基地に到着したのは7機のみで、約半数が行方不明となった。
【72FR戦果】
撃墜:グラマンF6F戦闘機3機
【72FR被害】
未帰還:4式戦闘機9機以上
【戦死者】
72FR 戸田 公  大尉 (航士55期)     *リンガエン湾
72FR 古川 孝  少尉 (航士57期)     *リンガエン湾
72FR 大越 信幸 少尉 (航士57期)     *リンガエン湾
72FR 高橋 一雄 少尉 (特操1期)      *リンガエン湾
72FR 笠原 史雄 少尉 (特操1期)      *リンガエン湾
72FR 増田 与一 軍曹 (少飛10期)     *リンガエン湾
72FR 久保 実  軍曹 (下士90期)     *リンガエン湾
72FR 出口 敏治 軍曹 (下士93期)     *ミンドロ沖
72FR 薄葉 公弘 伍長 (少飛12期)     *リンガエン湾

昭和19年12月15日
ミンドロ島サンホセ攻撃のため出撃を準備しが、可動機4機のみとなり中止された。

昭和19年12月16日 
【21FB被害】
【戦死者】
72FR 石井 良之 中尉 (操92期・士56期) *ルソン島
72FR 本行 邦彦 中尉 (航士56期)     *ルソン島
21FB 佐藤 繁  曹長 (下士87期)     *クラーク

昭和19年12月17日
「ミンドロ島攻撃」
朝 七三戦隊(四式戦9機)が七二戦隊と合同で、ミンドロ攻撃隊の直掩に出動した会敵せず、帰還したが七三戦隊の篠田悌治軍曹機に搭乗して出撃した吉岡飛行団長は未帰還となった。
【21FB被害】
【戦死者】
21FB 吉岡 洋  中佐 (操23期・士37期) *クラーク
72FR 若狭 繁夫 中尉 (操92期・士56期) *ミンドロ沖
72FR 佐藤 通  少尉 (特操1期)      *ミンドロ沖
72FR 刀根 四郎 伍長 (少飛13期)     *ミンドロ沖
73FR 篠田 悌治 軍曹

昭和19年12月18日
第二一飛行団は、四式戦約40機をクラーク基地群のバンバンとマバラカット東飛行場に集中した。

昭和19年12月20日
「ミンドロ島攻撃」
【21FB被害】
【戦死者】
72FR 新谷 肇  少尉 (下士84期)     *ミンドロ沖
72FR 大西 孝  伍長 (少飛12期)     *ミンドロ沖
73FR 中原 春次 軍曹 (少飛10期)     *リパ 着陸事故

昭和19年12月下旬
数次のミンドロ進攻作戦で損耗を重ねた。

昭和20年1月5日
第三〇戦闘飛行集団長の命令で、戦闘機隊は全機特攻作戦に移行した。
第一、一一、七一~七三、二〇〇戦隊の四式戦装備隊は混成で「精華隊」を編成し、1月12日まで、リンガエン湾に上陸した船団を目標に、2機ずつの編隊を組み(うち1機は戦果確認機)、250キロ爆弾2個を翼下に装備し出撃した。

昭和20年1月12日
戦隊は可動0機となる。

同日夜 青木三〇集団長以下残存した飛行隊員の大部は、マバラカット基地より自動車悌団で、北部ルソンのエチャゲへ後退を開始した。
井上飛行隊長が指揮する第二一飛行団は、23日に到着した。

昭和20年1月13日
朝 双発高錬でマバラカットを出発した津崎戦隊長と高橋二〇〇戦隊長らは、行方不明となり、米陸軍のP47戦闘機に撃墜されたものと推定された。
【戦死】
200FR 高橋 武  中佐 (操28期・士38期) *ルソン島
72FR  津崎 栄介 少佐 (航士51期)     *ルソン島
21FB  佐々木光男 准尉 (下士72期)     *ルソン島
200FR 西  哲雄 中尉 (少飛2期)      *ルソン島
エチャゲに脱出した井上隊は、1月末ルソン島北端のカサンバラカンに到着、救援の潜水艦を待ったが到着せず、ツゲガラオに戻り、操縦者の主力は2月末爆撃機で台湾へ脱出した。
第二一飛行団は幹部の多数を失い、再建は困難と判定され、1月15日付で第一航空軍に編入され、台湾にあった16機の四式戦と生還者は他部隊に転出し、解散した。
なお、ルソン島に残留した地上要員(約80名)は、4月に臨時歩兵第二五大隊に編入さ
れてゲリラ戦を続行し、多数の戦死者を出したのち、敗戦を迎えた。


*未完稿


【参考文献】
主要参考文献 を参照下さい。

筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております。

初稿  2007-10-08



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