旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-陸軍編

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飛行第五五戦隊


【通称】
鷲第一八四二七

【飛行分科】
戦闘

【編成】
昭和19年4月30日 大正(大阪)

【機種】
三式戦闘機「飛燕」

【最終所在地】
佐野(大阪)

【戦隊長】
岩橋重夫  少佐 (48期) 19年 4月~19年11月
矢野武文  大尉 (54期) 19年11月~20年1月(代理)
小林賢二郎 少佐 (53期) 20年 3月~敗戦

【飛行隊長】
矢野武文  大尉 (54期) 19年4月~20年1月
上村一一  大尉 (55期) 20年1月~20年2月
前田 茂  大尉 (55期) 20年4月~20年8月

【第1中隊長】
矢野武文  大尉 (54期) 19年3月~20年1月

【第2中隊長】
大西 彰  中尉 (55期) 19年4月~20年1月

【第3中隊長】
上村一一  中尉 (55期) 19年4月~20年1月

【所属】
第18飛行団         19年5月~
第11飛行師団        19年7月~
第23飛行団         19年8月~

【飛行団長】
二田原憲治郎大佐
昭和19年3月23日
軍令陸甲34号により、大阪近郊の大正飛行場にて臨時編成に着手。

昭和19年4月30日
編成完結。
戦隊長は岩橋重夫少佐、飛行隊長は矢野武文大尉(いずれも転科)で三式戦闘機「飛燕」Ⅰ型を装備した。
岩橋戦隊長は重爆よりの転科で操縦者は少飛13期、特操1期を主体とし、実戦経験者は1~2名で、夜間戦闘可能者もきわめて少なく、練度は低かった。

昭和19年5月25日
戦隊は小牧に移動、第一八飛行団の隷下に入る。

昭和19年7月
第一一飛行師団に編入。

昭和19年8月
第二三飛行団の隷下に編入。
中京地区の防空を担当。

昭和19年11月6日
戦隊にフィリピン進出が命令されが、一部約20名の特操を主体とする未熟者は留守隊
長:代田 実中尉(航士56期)以下で小牧に残留となる。

昭和19年11月11日
岩橋戦隊長以下の三式戦38機は小牧を出発。
沖縄、台湾を経由して18~19日、ルソン島クラーク基地群アンヘレス西飛行場に到着。

昭和19年11月23日
夕刻 三式戦20機でネグロス島タリサイ飛行場に前進。   

昭和19年11月24日
「第2次レイテ航空総攻撃」
五五戦隊は岩橋戦隊長以下12機で、一式戦13機(31/54FR)、4式戦13機(200FR)、その他14機ととも参加
米陸軍のロッキードP‐38双発戦闘機との空戦で、岩橋戦隊長が最初の一撃で撃墜され、引き続き乱戦の内に更に6機を失い、かろうじて生還した機もすべて被弾し、初陣で戦隊は戦力の大半を喪失した。
【戦果】
【被害】
【五五FR戦死者】
岩橋重夫  少佐 (48期)   五五FR戦隊長 *レイテ
島倉俊樹  中尉 (56期)           *レイテ
福井 昊  曹長 (下士87期)         *レイテ
潮崎奎吾  曹長 (下士87期)         *レイテ
小川千代造 軍曹 (少飛10期)         *レイテ
菅野吉三  軍曹 (下士93期)         *レイテ
伊藤芳士  軍曹 (下士93期)         *レイテ
渡辺忠男  伍長 ( ? )           *レイテ
【三一FR戦死者】
清水光雄  少尉 (57期)   三一FR    *タクロバン
高橋敏夫  曹長 (下士87期)         *タクロバン
竹中輝雄  軍曹 (少飛10期)         *タクロバン
長谷川敏夫 伍長 (少飛11期)         *タクロバン
福本忠太郎 伍長 (少飛11期)         *タクロバン
【二〇〇FR戦死者】
河野時男  大尉 (53期)   二〇〇FR   *レイテ
笹田雅文  少尉 (57期)           *レイテ
福田常三  軍曹 (下士89期)         *レイテ
飯塚虎男  伍長 (少飛13期)         *レイテ

その後、矢野飛行隊長の指揮下で、レイテ進攻、オルモック湾の味方船団掩護等に当り、操縦者、機材ともに損耗を重ねたが、戦果は少なかった。[緒方畩重少尉(少候24期)が第二飛行師団司令部上空でP‐38戦闘機5機(うち不確実2)を撃墜した]

この間に戦隊はネグロス島のパゴドロ基地、次いでマナプラ基地に移動し、緒方少尉等は飛行機補充にためルソン島アンヘレス基地に後退して、ようやく6機を整備し帰隊しようとしたが、20年1月上旬、米軍のリンガエン湾上陸に伴い、そのまま残留。特攻掩護や、払暁・薄暮の爆装攻撃に転用され、2月上旬ルソン島を脱出、台湾に後退した。
一方、ネグロス島に残留した戦隊長代理の矢野大尉以下の主力は、残り少ない機材、人員で引き続きレイテへの夜間攻撃を続行したが、矢野大尉も1月17日、単機で夜間のタ弾攻撃に出たまま未帰還となった。

昭和20年1月15日
大陸指により内地への帰還命令をうけた。
【飛行第五五戦隊のフィリピン方面の戦果】[筆者注:調査未完]
不明
【個人戦果】
緒方畩重少尉(少候24期) *撃墜:P‐38双発戦闘機5機(うち不確実2)

以下、続きます。


*未完稿


【参考文献】
主要参考文献 を参照下さい。

[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆、改訂を予定しています]

初稿  2005-04-22
第2稿 2005-12-21 一部加筆



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