旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-陸軍編

   トップ > 航空戦史-陸軍編 > 陸軍飛行戦隊-飛行第五四戦隊

飛行第五四戦隊


*加筆中です(2010-08-02)

飛行第五四戦隊

【通称】
鏑第一九二七二

【飛行分科】
戦闘

【編成】
昭和16年7月26日

【編成地】
柏(千葉県)

【機種】
九七式戦闘機、一式戦闘機「隼」 九七式重爆1機(輸送用)

【最終所在地】
札幌(北海道)

【所属】
第一飛行師団

【戦隊長】
島田安也  少佐 (陸士38期/操25期) 16年 7月~19年 4月
                      第二六教育飛行隊長へ転出
黒川直輔  少佐 (航士51期)      19年 5月4日付~19年11月
竹田 勇  少佐 (航士52期/転科)   19年12月~敗戦

【戦隊付・飛行隊長】*19年2月29日 飛行隊編成
林 弥一郎 大尉 (18少/操51期)   18年11月~

【第一中隊長】
富田正二  中尉 (18少/操55期)   16年 7月~17年 2月
菊地幹二  中尉 (士52期/操80期)  17年 2月~19年 2月
竹田 勇  大尉 (航士52期/転科)   19年 2月~19年12月
中島重幸  大尉 (航士54期/転科)   20年 1月~敗戦

【第二中隊長】
堂園俊男  大尉 (航士50期)      16年 7月~17年 4月
北古賀雄吉 中尉 (陸士52期/操80期) 17年 4月~19年 6月

【第三中隊長】
林 弥一郎 中尉 (18少/操51期)   16年 7月~18年11月
輿石 九  大尉 (航士53期)      18年11月~19年11月

【北千島派遣隊長】
竹田 勇  大尉 (航士52期/転科)   19年 7月~19年10月
中島重幸  大尉 (航士54期/転科)   19年10月~20年 7月

【北海道残置隊長】
永仮正明  大尉 (航士53期)      19年 3月~19年 9月
末吉健二郎 大尉 (航士55期/転科)   19年 9月~20年 2月

【整備隊長】
蔵前正次  大尉 (18少)        19年 2月~19年11月
小松正美  大尉 (士55期)       19年11月~敗戦

昭和16年7月26日
飛行第五戦隊(柏)にて編成を着手。

昭和16年9月6日
臨時編成を完結。
九七式戦闘機3個中隊(五戦隊よりの転入者が中核となる)
樺太・内路に展開予定だったが、支那戦線に転用された。

昭和16年11月8日
「事故/柏」
山本雅夫 中尉  (航士53期)
河村良雄 軍曹  (下士82期)

昭和16年11月16日
戦隊主力は柏を出発。

平壌、北京を経て南京に一時集中した。

昭和16年11月28日
主力は漢口に進出。
第一飛行団に所属。

「第二次長沙作戦」に協力。

昭和17年1月
白螺磯に移動。

昭和17年1月8日
夕方 情報出動により第三中隊の九七戦8機が、長沙上空にて中国空軍のツポレフSB-2爆撃機9機と交戦。
【戦果】
撃墜:5機
撃破:2機
*賞詞を受ける。

昭和17年2月下旬
南支作戦参加の為、 台湾経由で広東に移動。
悪天候の東支那海上空で、富田正二中尉(下士55期)、湯浅千代一中尉(航士54期)、細井研一中尉(航士54期)3機が行方不明となった。

輿石 九中尉以下12名は、飛行機受領の為に内地へ。
帰還後に飛行団直轄となり南京防空に当たる。

昭和17年4月18日
南京駐留の約1個中隊は、東京を空襲したドーリットル爆撃隊を捜索。

昭和17年4月21日
柳州に強行偵察を行った堂園大尉が、被弾し不時着した僚機の小林一嘉曹長(下士82期)を救出する為に敵地に着陸、救出に失敗し捕虜となる(戦後生還)。

昭和17年5月中旬
「淅贛作戦」(地上よりの淅江省方面航空基地攻撃)に協力。

第三中隊は広東に残留、軽爆隊の援護で柳州、桂林等の攻撃に参加。
主力は抗州に移動、地上軍の直協に当たる。

昭和17年6月12日
「桂林上空戦/広東残留隊」
独飛84中隊と協同 P-40戦闘機群と交戦。
【戦果】
撃墜:5機(うち不確実2機)
【被害】
不明
【戦死者】
中野邦博軍曹  (予下士)

戦隊主力は南昌に移動。

昭和17年6月22日
「衝陽上空戦」
戦隊主力が米義勇飛行隊のカーチスP-40戦闘機と交戦。
【被害】
不明
【戦死者】
秋山光徳 中尉 (航士54期)

昭和17年7月3日
「衝陽上空戦」
戦隊主力が米義勇飛行隊のカーチスP-40戦闘機と交戦。

昭和17年7月4日
「衝陽上空戦」
戦隊主力が米義勇飛行隊のカーチスP-40戦闘機と交戦。
【被害】
不明
【戦死者】
藤野鹿次 中尉 (航士54期)
山田良男 軍曹 (下士84期)
種市住司 軍曹 (予下士)

上記における米義勇飛行隊との交戦の結果
戦果:撃墜・5機(うち不確実2機)
被害:九七戦・5機

昭和17年7月10日
「南昌」
不明
新見 暁 軍曹 (下士84期)

昭和17年7月中旬
第三中隊は中支に復帰し、漢口に展開し武漢防空に当たる。

昭和17年7月
南京に進出。

昭和17年9月23日
第一航空軍・独立第二〇飛行団に編入。
北方防空に転用となる。

昭和17年10月上旬
南京を出発、小月、立川を経て、千歳に移駐。
南樺太内路飛行場移駐準備で戦力回復に当たる。

昭和17年11月
一部を札幌、苫小牧に分遣した。

昭和18年1月
帯広に移駐。

昭和18年1月~2月
立川にて一式戦Ⅱ型への機種改変とロッテ戦法の伝習をうける。

昭和18年4月2日
大陸指により、戦隊主力は一時的に中部軍に編入され、それに伴い、大阪郊外にある大正飛行場に移動した。

第三中隊は北千島の幌筵島柏原(北ノ台飛行場)へ向ったが、悪天候のため進出は中止された。

昭和18年4月30日
第一中隊は台湾防空の為、台湾に分遣された(19年9月、スマトラ島パレンバンに移動、防空任務につくが、19年2月29日付で独立飛行第二四中隊となった)。
[筆者注:独飛二四中隊の項を参照下さい]

昭和18年6月上旬
中部軍指揮下の第二、第三中隊に北方軍飛行第一師団への復帰が決定。帯広への終結後北千島方面への転進が下令された。

昭和18年7月20日
島田戦隊長以下、第二、第三中隊の一式戦「隼」23機が、帯広より九七式重爆撃機に先導され、幌筵島北ノ台飛行場に進出。

昭和18年8月12日
「北千島防空戦」
0710 対空監視哨が、幌筵海峡東方高度5000~6000メートルで来襲した
   B‐17爆撃機(誤認)9機を発見、ただちに五四戦隊に通報。
   警急体制より島田戦隊長以下、可動全機が発進。
   来襲した米陸軍第11航空軍のコンソリデーテッドB‐24「リベレーター」
   四発重爆撃機9機を迎撃。
   他に、海軍四五二空二式水上戦闘機10機、零式水上観測機8機が、別飛
   沼水上基地より発進した(戦果無し)
   B‐24は単機毎に高度を下げつつ片岡海軍基地、柏原の陸軍施設等へ投弾。
   戦隊長以下の主力は、米機の帰路を柏原北方海上の高度5000メートルに
   て迎撃の態勢をとったが、低空で離脱を図る米機を発見できず、遅れて発進
   した一部しか捕捉出来なかった。
【編成】
一式戦「隼」 [筆者注:調査未完、詳細不明]
      島田安也 少佐
 第三中隊 岩瀬 勲 中尉   *撃墜  ・1機 占守島に不時着 戦死
      山田盛一 准尉   *協同撃墜・1機 (榎田軍曹と)
      榎田正一 軍曹   *協同撃墜・1機 (山田准尉と)
【戦果】
撃墜:B‐24爆撃機5機(うち不確実2機)
【被害】
損失:一式戦Ⅱ型1機(不時着)
【戦死者】
岩瀬 勲  中尉 (航士54期)

《米陸軍第11航空軍記録》
撃墜:日本機5機
損失:3(被墜2、カムチャッカ半島に不時着1)機
損傷:2(被弾)機

昭和18年9月12日
「北千島防空戦」
可動全機が出撃。
米陸軍第11航空軍のB-24四発爆撃機7機、 ノースアメリカンB-25「ミッチェル」双発爆撃機11機と交戦。
島田戦隊長は低空を離脱するB-25爆撃機5機編隊を発見、先頭機を撃墜。2機目を攻撃中に被弾、発動機が止まり体当たりを決意したが、再び発動機が動き始めたので離脱した。
林大尉以下、第三中隊の10数機が低空を離脱中のB-24爆撃機編隊を攻撃。横崎中尉機の体当たりでの混乱したところを追撃、その4(うち不確実1)機を撃墜した。
【編成】
[筆者注:調査未完、詳細不明]
上空哨戒隊
  小隊長 輿石 九 中尉
   僚機 若鍋正彦 曹長
   僚機 福田正雄 伍長
 戦隊長機 島田安也 少佐     撃墜・B-25爆撃機2(うち不確実1)機 被弾
第二中隊
 中隊長機 北古賀雄吉大尉
  小隊長 一番機 横崎二郎 中尉 撃墜・B-24爆撃機1機(体当り)    自爆
      二番機 薄井健二郎軍曹 撃破・B-24爆撃機1機 被弾4発
  分隊長 三番機 松本源次郎曹長
      四番機 菊地鬼子男伍長 胸部に被弾、途中離脱し着陸。
第三中隊
  小隊長 林 弥一郎 大尉    中隊撃墜・B-24爆撃機4(うち不確実1)機

【戦果】
撃墜:B-24爆撃機5(うち不確実1)機、B-25爆撃機2(うち不確実1)機
【総合戦果】
撃墜:12(うちほぼ確実1、不確実2)機
〔海軍:四五二空 撃墜:B-24爆撃機3(うち不確実1)機、陸軍:高射砲隊 撃墜:B-25爆撃機2機〕
【被害】
不明:自爆1機。被弾1機以上?
【戦死者】
横崎二郎  中尉 (航士53期) 体当り 個人感状授与 二階級特進

《米陸軍第11航空軍記録》
損失:未帰還・10機(B-24爆撃機3機、B-25爆撃機7機〈未帰還のうち7機はカムチャッカ半島に不時着〉)
損傷:被弾・7機

昭和18年8月~10月
戦闘外の被害(北千島の悪天候や脆弱な基地支援施設が原因の事故等)で10機を損失。

昭和18年9月中旬
飛行第六三戦隊第一中隊の一式戦が指揮下に入る。

昭和18年11月中旬
悪天候(吹雪)により保有機の大半を損失。一時戦力無し状態となった。

昭和18年11月末
六三戦隊第一中隊は機材を五四戦隊に譲り、北海道に引き上げた。

昭和18年12月~昭和19年2月
無事故により損失無しを記録。

北千島における冬季の防空と戦力の練成は極めて困難であった。

昭和19年
この間、苫小牧残置隊(竹田大尉指揮、4月に本隊に合流)にて戦力回復と練成を続け、2月までには約3個中隊分の戦力を揃えた。

昭和19年2月29日
パレンバン派遣の第一中隊が戦隊より分離され、独立飛行第二四中隊となる。

昭和19年6月24日
夜半 アッツ島を出撃してきたA・G・スモール少将指揮の米艦隊(重巡2隻、軽巡1隻、駆逐艦9隻により)飛行場が艦砲射撃を受ける。

昭和19年8月中旬
北千島派遣隊(一式戦12機、操縦者15名、指揮官:竹田大尉)を北ノ台(幌筵島)残置させ、主力は丘珠(札幌)に移動。一部は苫小牧に分遣し、室蘭防空に当たる。

【北千島派遣隊】を別稿としました。

昭和19年9月20日
「事故/北海道残置隊」
永仮正明 大尉 (航士53期)

昭和19年10月21日
比島への転進命令が下令された。

昭和19年10月25日
主力の28機が丘珠より所沢に移動した。
北海道残留隊(一式戦19機、操縦者24名と警備隊主力末吉健二郎大尉指揮)は丘珠飛行場(後に沼ノ端に移動)に、夜間防空用の二式複座戦闘機「屠龍」4機(新屋弘市少尉指揮)を千歳飛行場に残留した。

主力は所沢にて一式戦Ⅲ型に機種改変を行った。

昭和19年10月30日
「苫小牧/事故 北海道残置隊」
奥田憲男 軍曹 (下士91期)

昭和19年11月1日
重爆2機に整備員を乗せ所沢を出発、フィリピンへの移動を開始。
九州・新田原、台湾・屏東を経由。

昭和19年11月4日
黒川戦隊長以下、先発隊12機がルソン島マニラ近郊サブラン飛行場に到着。

昭和19年11月5日
「マニラ地区防空戦」
0735~1530 米艦載機約200機が、四次以上にわたりマニラ地区に来襲。
【編成】
不明
【戦果】
不明
【総合戦果】
撃墜:22機
【被害】
不明
【総合被害】
損失:10機
【戦死者】
輿石 九 大尉  (航士53期)
福田正雄 軍曹  (少飛8期)
中村光明 軍曹  (下士90期)

《米海軍側記録》
被墜:25機(クラーク地区の被害を含む)

昭和19年11月6日
主力のサブラン飛行場への集中を終える。

昭和19年11月10日
戦隊長以下主力の12機はフィリピン・ネグロス島ファブリカに進出。

同日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
【戦死者】
前 道基  伍長 (少飛11期) ファブリカ

昭和19年11月11日
「迎撃戦」
朝 来襲した米陸軍のロッキードP-38「ライトニング」戦闘機の2機を撃墜。

同日
「第三次多号船団オルモック泊地援護」
1130頃 一式戦約20機(うち五四戦隊9機、他に三三戦隊)でオルモック湾船団上空
    援護中、米海軍第38機動部隊第3空母部隊(エセックス、タイコンデロガ搭
    載機)のグラマンF6F戦闘機約60機と交戦。
    黒川戦隊長以下5機を喪失し、榎田正一曹長機がオルモックに不時着
    (後に生還)。
【編成】
一式戦Ⅲ型9機
   黒川直輔 少佐
   本部千里 中尉
   馬郡芳男 中尉
   松田喜三 曹長
   榎田正一 曹長  不時着
   重松康雄 伍長
【戦果】
不明
【被害】
損失:6機(被墜5機、不時着1機)
【戦死者】
黒川直輔  少佐 (航士51期) オルモック
本部千里  中尉 (航士55期) オルモック
馬郡芳男  中尉 (航士55期) オルモック
松田喜三  曹長 (下士87期) オルモック
重松康雄  伍長 (少飛11期) オルモック

昭和19年11月15日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
【戦死者】
吉ヶ島助良 軍曹 (少飛9期)  ネグロス

昭和19年11月16日
在ネグロス島の一式戦部隊(三一戦隊、五四戦隊)の可動機は12機。

以後、三一戦隊と協力してタクロバン飛行場攻撃、レイテ湾特攻掩護、ネグロス島迎撃、船団掩護に従事。

昭和19年11月20日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
【戦死者】
小野寺茂行 軍曹 (予下士7期) ネグロス

昭和19年11月25日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
【戦死者】
菊池鬼子雄 軍曹 (少飛8期)  レイテ

昭和19年11月27日
「陸軍特別攻撃隊「第二次八紘隊」直掩」
陸軍特別攻撃隊「第二次八紘隊」の一式戦11機の直掩で一式戦12機(五四戦隊6機、二十戦隊6機)と四式戦6機(三一戦隊)が出撃。
1040 直掩隊が発進。
1045 八紘隊が発進。(うち1機が事故で引返し、着陸時に主脚が折れ大破)
   直掩隊はP-38戦闘機と空戦。
   「八紘隊」は米艦隊に突入。
1135 田中中尉機が突入。
   尾川伍長機は対空砲火により被弾
【編成】
直掩隊
一式戦6機 
   広岡安幸 中尉 未帰還
   江崎増男 曹長
   熊坂豊吉 軍曹
   尾川芳治郎伍長 マスバテ島に不時着、大破炎上、ゲリラの攻撃を受けたが、
           警備隊に救助された。
   大浦一夫 伍長 未帰還
   出上義盛 伍長 未帰還
【戦果】
轟沈:戦艦1隻
大破:大型巡洋艦3隻、大型輸送船4隻
撃破:戦艦または大型巡洋艦1隻、大型輸送船1隻
【被害】
損失:4機(未帰還3機、不時着大破1機)
【戦死者]
広岡安幸  中尉 (航士56期) レイテ
出上義盛  伍長 (少飛11期) レイテ
大浦一夫  伍長 (少飛11期) オルモック

《米軍記録》
11月27日の艦艇被害
沈没:駆潜艇第744号
損傷:戦艦「コロラド」(1機命中)、軽巡「セントルイス」(2機命中)、「モンペリア」(1機命中)
   
同日
海軍の第三神風特別攻撃隊「春日隊」の爆装零戦3機、彗星艦爆2機も出撃している。

同日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
【戦死者】
江崎増男  曹長 (予下士)   ネグロス

昭和19年12月中旬
米軍がミンドロ島に上陸以後は夜間少数機でミンドロ泊地攻撃、タクロバン攻撃を散発的に行った。

昭和19年12月21日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
【戦死者】
熊坂豊吉  軍曹 (予下士)   パナイ島沖
山内 静  伍長 (少飛11期) パナイ島沖
出野幸雄  伍長 (少飛11期) パナイ島沖

昭和20年1月7日
「ファブリカ上空戦」
パゴドロ艦船偵察に出撃。
ファブリカ基地への帰還途中、偵察機動のP-38戦闘機4機と低高度にて交戦。
この空戦により杉本准尉機は、P-38戦闘機の1番機を撃墜。
被弾もしくは故障により高台の平地に不時着したが、現地ゲリラの襲撃により射殺された。
【編成】
一式戦Ⅲ型1機
 一番機 杉本 明 准尉 撃墜・P-38戦闘機1機
【戦果】
撃墜:P-38戦闘機1機(T・B・マクガイア少佐機/撃墜38機米陸軍2位)
【被害】
損失:一式戦Ⅲ型1機(不時着/操縦者戦傷死)
【戦死者】
杉本 明  准尉 (下士82期) ネグロス島

*七一戦隊の四式戦1機(福田瑞則軍曹)も同時に空戦に入り、1機を撃墜、1機を撃破した。

昭和20年1月15日
戦隊は内地帰還命令を受ける。

昭和20年1月末
フィリピンに進出した操縦者28名中、8名となった。
 竹田    戦隊長
 水野 帝  中尉
 榎田正一  曹長
 尾川芳治郎 伍長
 ほか4名

昭和20年1月30日
「幌別/事故 北海道残置隊」
泉 弁福  中尉 (航士56期)

昭和20年2月1日
竹田戦隊長、水野 帝中尉以下8名が、ファブリカより戦闘機4機でボルネオに脱出した。
ボルネオ、シンガポール経由でサイゴンに集結。

【ミンダナオ島における地上戦死】
昭和20年6月13日
逸見 事  軍曹 (少飛11期) ミンダナオ島

昭和20年3月中旬
沼ノ端に帰還。
戦力回復に入る。

昭和20年5月
札幌に移駐。

昭和20年7月初め
戦隊は定数まで戦力が回復した。

昭和20年7月末
北千島派遣隊は3機(池野准尉指揮)を残留し、主力は札幌に後退し、本隊と合流した。

昭和20年8月18日
ソ連軍が占守島に上陸を開始し、残留した3機は上陸点攻撃。

昭和20年8月21日
停戦成立前に2機が脱出した。

敗戦時の戦隊保有機は、一式戦Ⅱ、Ⅲ型を主に50~60機、その他に試飛行の終了した木製の四式戦が2機あった。

【北千島派遣隊】
昭和19年秋~20年夏の防空戦果は、撃墜破:38機を記録した(吉崎 巌中尉記録)。


*未完稿


【参考文献】
主要参考文献 を参照下さい。

[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております]

初稿  2005-11-05
第二稿 2010-08-01 加筆中
第三稿 2010-08-03 改訂、北千島派遣隊を別稿とした

コメントを読む››


copyright © 2011 旧軍戦史雑想ノート all rights reserved.
inserted by FC2 system