旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-陸軍編

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飛行第五二戦隊


【通称】
威第一八四二五

【飛行分科】
戦闘

【編成】
昭和19年4月28日 防府(山口県)

【機種】
一式戦闘機「隼」、四式戦闘機「疾風」

【最終所在地】
調布(東京)

【戦隊長】
桑原信彦  少佐(航士50期/転科)     19. 4~19. 8
内徳隆幸  少佐(航士51期/転科)     19. 8~19. 8
沢山義隆  大尉(航士52期)        19. 8~19.11
坂内士郎  大尉(航士53期/転科)     19.12~20. 6
高野 明  少佐(航士53期)        20. 6~敗戦

【飛行隊長】
粟根逸夫  大尉(航士53期/転科)     19. 4~19. 8
山崎 宏  大尉(航士54期)        19. 8~19.10
緒方淳男  中尉(下士67期・21少/転科) 19.10~20. 2
原崎鉄男  大尉(下士58期・20少)    20. 2~敗戦

【第1中隊長】
緒方淳男  中尉(下士67期・21少/転科) 19. 5~19.12
佐々木広人 中尉(操92期・士56期)    19.12~20. 2
寺沢英俊  中尉(航士56期)        20. 2~敗戦

【第2中隊長】
小川久勇  大尉(航士54/転科)      19. 5~19.10
生田 瑛  中尉(操92期・士56期)    19.12~敗戦

【第3中隊長】
山崎 宏  大尉(航士54期)        19. 8~19.10
北川源二  中尉(操92期・士56期)    19.12~敗戦

【整備隊長】
瀬戸口勝  大尉(士54)          19. 6~20. 2
馬場良平  大尉(士54)          20. 2~敗戦

【所属】
第一航空軍                  19. 4~19. 9.12
第四航空軍                  19. 9.13 ~
第三〇戦闘飛行集団
第一六飛行団

【飛行団長】
新藤常右衛門中佐(操23期・士36期)    19. 4.~

昭和19年4月28日
第一六飛行団司令部とともに大阪飛行場にて編成。
同時に小月飛行場で編成された飛行第五一戦隊と四式戦闘機「疾風」装備の第一六飛行団を構成。
桑原戦隊長、粟根飛行隊長もともに他機種からの転科で、操縦者の多くは飛行学校卒業直後であり、戦闘機出身の新藤飛行団長が率先して戦隊の訓練を指導した。

昭和19年5月5日
編成完結直後に飛行団司令部とともに北九州の芦屋飛行場に移駐。
第一航空軍の指揮下で臨時防空任務を行いながら訓練をすすめた。

昭和19年8月20日
「北九州地区迎撃(第1波)」
可動の四式戦15機(うち夜間行動可能8機)の全力で、夕方より福岡北方高度7000㍍にて迎撃、同時出撃の飛行第五九戦隊の1機と協力してB‐29重爆撃機を1機撃墜。
また、新藤飛行団長も単機八幡上空で1機を撃墜した。
【16FB戦果】
撃墜:B29重爆撃機2機
【個人戦果】
16FB 新藤常右衛門中佐(士36期)     *撃墜・B29重爆撃機1機

同日
「北九州地区迎撃(第2波)」
四式戦で6機出動したが、会敵せず、困難な夜間離着陸事故で、内徳戦隊長と粟根飛行隊長が戦死した。
【戦果】
なし
【52FR被害】
損失:四式戦3機(事故)
【戦死者】
52FR 内徳隆幸  少佐(航士51期/転科) *事故 戦隊長
52FR 粟根逸夫  大尉(航士53期/転科) *事故 飛行隊長
52FR 山田 守  軍曹(下士90期)    *事故

昭和19年9月13日
第一六飛行団はフィリピン進出命令を受ける。

昭和19年9月26日
新戦隊長:沢山大尉以下約40機が芦屋を出発。新田原、沖縄、屏東を経て、フィリピンに向かう。

昭和19年9月29日
飛行団長とともに全機無事にルソン島デルカルメン飛行場に到着、第一六飛行団は第四航空軍・第二飛行師団の隷下に入った。
その後、飛行団司令部と五二戦隊はデルカルメンにて基地防空任務にあたる。

昭和19年10月13日
海軍機の米機動部隊攻撃を掩護するため、出動したが会敵せず、戦隊長編隊は台湾に不時着し、翌日帰還した。

昭和19年10月15日
「マニラ地区米艦載機迎撃戦」
午前 飛行団は前日から空襲を予測、五一、五二戦隊が交代で哨戒を行なった。
五一戦隊は空戦の好機を逃し、川野、三石両中尉がそれぞれ1機を撃墜したに止どまった。
五二戦隊は有利な態勢より奇襲し、沢山戦隊長、高橋曹長が各1機を撃墜。
第2波に対しても優勢な空戦を進め、計8機を撃墜した。
【16FB戦果】
撃墜:10機[51FR=2/52FR=8]
【個人戦果】
52FR 長沢山義隆 大尉(航士52期)    *撃墜:1機
52FR 高橋武夫  曹長(少飛5期)     *撃墜:1機
51FR 川野雅章  中尉(航士56期)    *撃墜:グラマンF6F戦闘機1機
51FR 三石研三  中尉(航士56期)    *撃墜:グラマンF6F戦闘機1機

同日
「機動部隊攻撃」
午後 海軍の攻撃隊の掩護のため、新藤第一六飛行団長の指揮で、各戦闘飛行団の四式戦16機、一式戦13機、三式戦22機の計74機が比島東方洋上に出撃。500㌔沖まで進攻し、戦闘機群と空戦を行う。
森沢軍曹機は増槽の故障落下による燃料不足にかかわらず交戦、帰途単機反転して空母に突入戦死し、個人感状を授与された。
【16FB戦果】
撃墜:15機
【個人戦果】
16FB 新藤常右衛門中佐(士36期)     *撃墜:1機
【総合被害】
損失:14機
【16FB被害】
未帰還:四式戦7機[51FR:2/52FR:5]
【戦死】
52FR 竹田 博  曹長(下士86期)
52FR 森沢 満  軍曹(少飛7期)     *第3中隊 体当り
52FR 島野又男  伍長(少飛11期)
     ほか1名

昭和19年10月17日
「クラーク地区迎撃戦」
艦載機を迎撃。
【52FR被害】
【戦死者】
52FR 松本徳信  伍長(少飛11期)    *クラーク

昭和19年10月18日
「クラーク地区迎撃戦」
艦載機を迎撃したが、情報の遅れから不利な戦闘となり、終日の激戦となった。
【16FB戦果】
【16FB被害】
戦死10数名
【52FR被害】
不明
【戦死者】
52FR 森山勇吉  曹長(下士87期)    *マニラ
52FR 吉岡 信  曹長(下士87期)    *マニラ
52FR 卜部武士  軍曹(下士90期/転科) *マニラ
52FR 佐々木吉光 軍曹(下士90期)    *マニラ
【51FR被害】
自爆:3機 落下傘降下:7機 被弾不時着:2?機
【戦死者】
51FR 伊藤光裕  中尉(航士56期)    *マニラ
51FR 大沢睦郎  伍長(少飛12期)    *マニラ
51FR 藤岡 泉  伍長(少飛12期)    *マニラ

同日付 飛行団は第三〇戦闘飛行集団の隷下に入る。

昭和19年10月19日
「クラーク地区迎撃戦」
【52FR被害】
不明
【戦死者】
52FR 多田研二  軍曹(少飛10期)    *デルカルメン

昭和19年10月23日
飛行団の可動機[16FB:51FR=7/52FR=8]

昭和19年10月24日
朝 51戦隊は西川大尉の指揮(高橋曹長参加)で52戦隊とともに[16FB:約10機]レイテに進攻したが会敵せず、上陸地点を銃撃、そのままネグロス島の前進基地のサラビアへ着陸。

同日
「レイテ攻撃」
午後
【16FB被害】
【戦死者】
52FR 小川久男  大尉(航士54期)    *レイテ 第2中隊長
51FR 西川 幾  大尉(航士53期)    *レイテ 第1中隊長
       
昭和19年10月25日
「レイテ攻撃」
【16FB被害】
【戦死者】
52FR 小里信介  中尉(航士56期)    *レイテ

昭和19年10月26日
「タクロバン攻撃」
夕方 第1波の52戦隊の11機(対地攻撃8機、直掩3機)がタクロバン飛行場に対してタ弾攻撃を行い、在地機を多数撃破した。
【16FB被害】
未帰還:7機[51FR=3/52FR=4]
【戦死者】
52FR 山崎 宏  大尉(航士54期)    *タクロバン
52FR 池田一郎  中尉(航士56期)    *タクロバン
    ほか2名
51FR 有安秀夫  少尉(少飛 4期)    *レイテ
51FR 椎名 保  伍長(少飛12期)    *レイテ
    ほか1名

昭和19年10月30日
サラビア基地は、モロタイ島よりのB24重爆撃機による初空襲を受ける。

同日?
高橋曹長がパゴドロ上空で衆人環視の中、鮮やかにP-38双発戦闘機を撃墜、富永四航軍司令官により、即日准尉に特別進級された。
【個人戦果】
52FR 高橋武夫  曹長(少飛5期)     ※撃墜・ロッキードP-38戦闘機1機

昭和19年10月末
保有13機(うち可動8機)

昭和19年11月2日
「オルモック」
【戦死者】
52FR 岡部仁士  軍曹(?)        *オルモック
   伊藤喜英  伍長(少飛12期)    *オルモック

昭和19年11月3日
「迎撃戦」
高橋准尉はP-38戦闘機1機を撃墜後、被弾してパゴドロ付近に不時着。匪賊と交戦して右大腿部に貫通銃創を受け、救出後入院した。
【個人戦果】
52FR 高橋武夫  准尉(少飛5期)     ※撃墜・ロッキードP-38戦闘機1機

昭和19年11月5日
可動0機

昭和19年11月12日
[調査未完、詳細不明]
【戦死者】
52FR 若原一男  曹長(下士87期)    *ネグロス

昭和19年11月13日
朝 ポーラックへ後退することになり、中島戦隊長、大淵大尉等5名の生存操縦者が、沢山52戦隊長等の生き残りと共に輸送機で出発したが到着せず、米艦載機に撃墜されたものと判断された。
【戦死者】
52FR 長沢山義隆 大尉(航士52期)    *マニラ沖 輸送機上 戦隊長
52FR 高橋武夫  准尉(少飛 5期)    *マニラ沖 輸送機上 第3中隊
                       ★総撃墜数:13機以上
52FR 成沢 務  曹長(下士91期)    *マニラ沖 輸送機上
52FR 樅山正直  軍曹(下士91期)    *マニラ沖 輸送機上
52FR 久川一久  軍曹(少飛10期)    *マニラ沖 輸送機上
51FR 長中島凡夫 少佐(航士50期)    *マニラ沖 輸送機上 戦隊長
51FR 大淵俊雄  大尉(航士54期)    *マニラ沖 輸送機上 第2中隊長
51FR 大橋義男  軍曹(少飛 9期)    *マニラ沖 輸送機上
51FR 徳岡一美  軍曹(少飛10期)    *マニラ沖 輸送機上
51FR 坂本正秀  軍曹(少飛10期)    *マニラ沖 輸送機上

昭和19年11月21日
デルカルメンの後退していた第16飛行団に、戦力回復のため内地帰還が発令された。



【参考文献】
主要参考文献 を参照下さい。

[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆、改訂を予定しております]

初稿  2005-04-21
第2稿 2005-11-05 一部加筆



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