旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-陸軍編

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飛行第二四八戦隊


【通称】
洋第一五三八九

【分科】
戦闘

【編成】
昭和17年8月10日
飛行第四戦隊を母体に福岡県雁の巣飛行場にて

【編成地】
小月〔山口県〕

【装備機種】
九七式戦闘機:定数33機/充足25機〔開隊時〕
一式戦闘機

【敗戦時所在地】
昭和19年8月20日、西部ニューギニア・ホーランジアで現地復帰(解散)

【所属】
第一九飛行団〔編成完結後に編入〕
第四航空軍・第六飛行師団

【戦隊長】
牧野靖雄  少佐 (39期)  17年 8月~18年10月
村岡信一  少佐 (43期)  18年10月~19年 1月
                      *東部ニューギニア・グンビ進攻で戦死
黒田武文  少佐 (45期)  19年 1月~19年 7月

【第一中隊長】
酒谷三郎  大尉 (18期少) 17年 8月~18年 7月
香月 豊  大尉 (53期)  18年 7月~19年 6月

【第二中隊長】
徳永信雄  大尉 (51期)  17年 8月~18年 2月
戸塚信義  中尉 (53期)  18年 2月~19年 1月
猪鹿倉兼次 中尉 (54期)  19年 2月~19年 4月

【第三中隊長】
太田英夫  中尉 (53期)  17年12月~18年11月
小島繁男  大尉 (53期)  18年11月~19年 1月
川村武紀  中尉 (54期)  19年 2月~19年 7月

【戦歴】
当初は九七式戦闘機2個中隊定数33機、充足25機で、第一中隊は芦屋、第二中隊は雁の巣に配置。

昭和17年12月
第三中隊が編成、同時に戦隊は九七式戦闘機より一式戦闘機Ⅰ型への機種改編を進めたが、当時は熟練者、実戦経験者は少数で、少飛10期を中心とした。

昭和18年7月末
一式戦闘機Ⅰ型から一式戦闘機Ⅱ型に機種改編を行う。

昭和18年10月9日
大陸命により、第四航空軍に編入。

昭和18年10月20日
戦隊長の村岡少佐以下34機は芦屋を出発。
台湾・屏東、フィリピン・マニラ、ダバオ、ホーランジアを経由して。30日に30機(操縦者34名)が東部ニューギニアのウエワクに進出。第六飛行師団の隷下に入る。
この時点での実戦経験者は村岡少佐、浅野 等中尉(少候20期)等の少数であったが、技量甲は25名いた。
地上勤務者の一部〔28名〕は本部と同時に、輸送機によりウエワクに進出した。

昭和18年10月30日
ニューギニアへ向かう地上勤務者の主力〔201名〕が便乗した「でらごあ丸」は、呉を出港。

昭和18年11月2日
「でらごあ丸」は、佐伯湾南方の土佐沖で潜水艦の雷撃を受け沈没し、生存者5名のみで全滅。
〔戦隊の整備は他隊により受けることとなったが、後に五九戦隊の転出の際、その整備員を受け入れた〕

昭和18年11月6日
「マザブ飛行場攻撃」
一式戦30機で出撃。
13/59/78FRと協同で重爆隊を援護、マザブ飛行場への初出撃を行う。
【総合戦果】
撃墜:2機
【被害】
不明
【戦死者】
太田英夫  中尉 (53期)    未帰還【第三中隊長】

昭和18年11月7日
「マザブ飛行場攻撃」

昭和18年11月9日
「マザブ飛行場攻撃」

昭和18年11月10日
戦隊の可動機:一式戦14機

昭和18年11月15日
「マラワサ進攻」

昭和18年11月19日~下旬
フィッシュハーフェン進攻、ウエワク防空を行う。

昭和18年11月20日
戦隊の可動機:一式戦10機

昭和18年11月30日
戦隊の可動機:一式戦7機

昭和18年11月末まで
操縦者の損失:13名

昭和18年12月
帆鷲中尉等15名の操縦者が補充される。

昭和18年12月5~7日
「ホーランジア船団掩護」

昭和18年12月12日
「マラワサ攻撃」

昭和18年12月16~21日
「マーカス岬上陸艦船攻撃」

昭和19年1月2日
「グンピ岬進攻」
【戦死者】 
村岡信一  少佐 (43期)

昭和19年1月21日
後任戦隊長の黒田少佐が着任。
戦隊の可動機数:一式戦10数機。

昭和19年1月末頃
将校が皆無となる。
戦隊の可動機数:一式戦10機。

昭和19年2月
単機でラム河谷への夜間攻撃を実施。

昭和19年2月下旬~3月
中隊長級将校と航士56期が数名、下士官7~8名が内地より補充され、他隊よりの転入者と一緒に、後方のホーランジアに後退し練成を行い、進攻の際にウエワクを前進基地とした。

昭和19年4月6日現在
操縦者:28名
保有:一式戦5機
可動:一式戦3機

昭和19年4月22日
大空襲で全機地上で喪失。
米軍がホーランジアに上陸。
戦隊は戦隊長以下大部分が徒歩でサルミに後退。途中の難航軍で大半は次々と倒れた。
大発便乗者も魚雷艇との交戦で過半が戦死した。

一部が残留していたウエワクの地上勤務者も、アイタぺへ後退中に米軍上陸に遭遇、山中のジャングルに避退。
 
昭和19年7月25日付
第六飛行師団と二四八戦隊は現地復帰(解散)を命じられた。

昭和19年9月30日
イドレにたどり着いた操縦者は黒田少佐、宮崎乙吉少尉(少候23期)、小川松太郎准尉等3~4名だけだった。〔20年初めに内地へ帰還〕
二四八戦隊の敗戦後の内地帰還者は約20名。
飛行第二四八戦隊〔全期間を通じて〕
戦果:撃墜・破 97機
被害:操縦者戦死(空中)24名


*未完稿


初稿  2005-07-22



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