旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-陸軍編

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飛行第二四戦隊


【通称】
誠第9602

【飛行分科】
戦闘

【編成】
昭和13年9月1日

【編成地】
ハルビン

【機種】
九七式戦闘機、一式戦闘機「隼」

【最終所在地】
宜蘭(台湾)

【戦隊長】
松村黄次郎 中佐
梼原秀見  少佐
高橋 武  少佐
横山八男  中佐 〈ニューギニア・フィンシュハーフェン上空で戦死〉
田代正一  少佐
庄司孝一  少佐

「ノモンハン事件」
ハイラルに展開、全期間を通じて撃墜:270機(うち不確実56機)を記録した。

緒戦時は屏東に展開、「比島攻略作戦」に参加。

昭和17年7月
広東に進出。
「夏季航空戦」
在支米空軍と交戦。撃墜:17機(うち不確実6機)

昭和18年5月
東部ニューギニアに展開。
約1ヶ月で可動機24機が一桁になるまで消耗。

昭和18年8月20日
「フィンシュハーフェン上空戦」
24FRは一式戦9機が参加、横山戦隊長が戦死した。

昭和18年9月末まで
ウエワク防空に当たった。

約4ヶ月半のニューギニアでの戦果は、撃墜:約80機であった。

マニラに後退。

昭和18年11月
芦屋に移駐。

昭和19年2月14日付 北方軍に編入され、立川で耐寒装備を実施したが、米海軍機動部隊のトラック、マリアナ来襲のため、足止めされ、所沢にて防空任務に就く。さらに4月末に下志津に移駐した。
この間、飛行隊編成に改編した(1月24日付)。

昭和19年5月6日
大陸命で南方軍に編入された。

昭和19年5月12日
海軍連合艦隊に編入された。

昭和19年5月15日
戦隊主力(一式戦闘機45機)は下志津を出発。
フィリピン・ルソン島クラーク、ミンダナオ島ダバオを経て、豪北方面に移動。

昭和19年5月23日
一式戦18機が、ニューギニアの西方にあるハルマヘラ島のカウ基地に進出。

昭和19年5月24日
戦隊は飛行隊長の小島次男大尉以下の1個中隊(8機)を、ニューギニア西端のソロン基地に前進させた。

昭和19年5月27日
「ビアク島攻撃」
ビアク島に連合軍が上陸。豪北方面所在の海軍航空部隊は全力を挙げて反撃を加えた。
二四戦隊も小島大尉以下8機がソロンより出撃した。
【戦果】

【被害】
未帰還:4機
【戦死者】
小島 次男大尉 (航士53期)  飛行隊長/第二中隊長  *ビアク沖
石橋 幸造曹長 (下士84期)              *ビアク沖
熊谷 晶 軍曹 (少飛8 期)              *ビアク沖
加藤 勝郎軍曹 (下士90期)              *ビアク沖

昭和19年5月28日
悪天候に進出を妨げられていた後発隊の20機が、ダバオよりカウ基地に前進した。

昭和19年5月29日
田代戦隊長以下の主力は、海軍の「渾作戦」に呼応するため、ソロンに前進した。

昭和19年6月2日
「ビアク沖」
庄司大尉の指揮する15機で、ビアク沖に進攻してカーチスP40「ウォホーク」戦闘機と空戦を行う。
【戦果】
撃墜:2機
【被害】
損失:3機
【戦死者】


昭和19年6月3日
「ビアク沖艦船攻撃」
海軍機と共同し、爆装した一式戦にて進攻。
【戦果】

【被害】

【戦死者】
丸山 寛 中尉 (航士55期) *ビアク沖
小滝貞重 曹長 (下士90期) *ビアク沖

昭和19年6月4日
「ビアク沖艦船攻撃」
海軍機と共同し、爆装した一式戦にて進攻。
【戦果】

【被害】

【戦死者】


昭和19年6月8日
「渾部隊上空掩護」
ビアク突入を前に、味方艦隊は米空軍の集中攻撃を受け、作戦は中止された。

昭和19年6月11日
米軍はマリアナ方面に来攻したため、海軍航空部隊の大部は北方に転進し、二四戦隊は引き続き少数機によるビアク攻撃を続行しつつ、ソロン地区の防空にも任じた。

昭和19年6月12日
「ビアク攻撃」
【戦果】

【被害】

【戦死者】
西並勝信 曹長 (下士82期) *ビアク
中村重男 伍長 (少飛11期) *ビアク 
 
昭和19年6月16日
「ソロン地区迎撃戦」
【戦果】

【被害】
自爆:5機
炎上:1機
【戦死者】
藤原正弘 少尉 (航士56期) *ソロン
大平利見 准尉 (下士75期) *ソロン
山本美一 軍曹 (少飛9期)  *ソロン
山下鷹士 伍長 (少飛12期) *ソロン
徳田隆保 伍長 (予下士9期) *ソロン

昭和19年6月17日
迎撃には可動機1機しか出撃できない状況にあった。

昭和19年6月下旬
可動機数機で、細々とソロン周辺の対潜警戒に当る。

昭和19年6月25日
「ビアク島攻撃」
池上洋吉中尉(航士55期)の指揮する3機で、ビアク島へタ弾攻撃を行う。
その後、戦隊はワシレに後退。 

昭和19年7月1日付
海軍の指揮を離れ、第七飛行師団に編入された。

昭和19年5月~6月の作戦期間中に二四戦隊は、操縦者20数名、飛行機約40機を喪失した。


*未完稿


【参考文献】
主要参考文献 を参照下さい。

[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております]

初稿  2005-04-24
第2稿 2005-10-22 一部加筆



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