旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-陸軍編

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飛行第一一戦隊


【通称】
洋第八三一一部隊
燕第八三一一部隊

【飛行分科】
戦闘

【編成】
昭和 7年 6月    飛行第一一大隊
昭和10年12月    飛行第一一連隊
昭和13年 8月31日 ハルビン

【使用機種】
甲式四型
九一式戦闘機
九二式戦闘機
九七式戦闘機
一式戦闘機「隼」
四式戦闘機「疾風」

【最終所在地】
高萩(埼玉県)

【飛行第一一大隊長/連隊長/戦隊長】
長沢賢二郎 大佐 (陸士19期) 昭和 7年 6月~ 9年 3月
藤田 朋  大佐 (陸士22期) 昭和 9年 3月~11年 3月
加藤尹義  大佐 (陸士23期) 昭和11年 3月~13年 3月
野口雄二郎 大佐 (陸士24期) 昭和13年 3月~14年 9月
岡部 貞  少佐 (陸士35期) 昭和14年 9月~17年 3月
杉浦勝次  少佐 (陸士41期) 昭和17年 3月~18年 2月
森下清次郎 少佐 (陸士44期) 昭和18年 2月~19年10月
金谷祥弘  少佐 (航士51期) 昭和19年10月~敗戦

【大隊付/戦隊付】
松岡勝蔵  少佐 (陸士23期) 昭和 7年 6月~ 9年 8月
別府 競  少佐 (陸士45期) 昭和16年 7月~17年12月
谷口正義  少佐 (陸士47期) 昭和17年12月~18年 8月
【第一中隊長/第一飛行隊長】
亀山計衛  大尉 (陸士32期) 昭和 7年 6月~ 9年 3月
川原八郎  大尉 (陸士34期) 昭和 9年 3月~10年 8月
小松原虎男 大尉 (陸士36期) 昭和10年 8月~12年 8月
松元邦男  大尉 (陸士42期) 昭和12年 8月~13年 8月
島田健二  大尉 (陸士45期) 昭和13年 8月~14年 9月 *個人撃墜:27機
別府 競  大尉 (陸士45期) 昭和14年 9月~16年 7月
宮林茂徳  大尉 (航士51期) 昭和16年 7月~18年 2月
荷宮 隆  中尉 (航士53期) 昭和18年 2月~19年 5月
大沼国夫  大尉 (航士53期) 昭和19年 5月~19年10月

 【第二中隊長/第二飛行隊長】
原田文男  大尉 (陸士32期) 昭和 7年 6月~ 9年 8月
岡部 貞  大尉 (陸士35期) 昭和 9年 8月~11年 8月
能登義雄  大尉 (陸士37期) 昭和11年 8月~13年 1月
坂川敏雄  大尉 (陸士43期) 昭和13年 1月~14年 3月 *総撃墜:約15機
木村孝治  大尉 (陸士43期) 昭和14年 3月~14年 8月
谷口正義  大尉 (陸士47期) 昭和14年 8月~17年12月
東条道明  大尉 (陸士50期) 昭和17年12月~18年 4月
斎藤 隆  中尉 (航士53期) 昭和18年 4月~19年 1月
四至本広之丞大尉 (航士54期) 昭和19年 1月~19年12月 *総撃墜:約11機

【第三中隊長/第三飛行隊長】
瀬戸克巳  大尉 (陸士32期) 昭和 8年 1月~ 9年 8月
宮沢太郎  大尉 (陸士37期) 昭和 9月 8月~11年 3月
牧野靖雄  大尉 (陸士39期) 昭和11年 3月~12年12月
小山武光  大尉 (陸士43期) 昭和12年12月~13年11月
藤田 隆  大尉 (陸士40期) 昭和13年11月~14年10月
松村俊輔  大尉 (陸士46期) 昭和14年10月~16年 3月
太田剛介  大尉 (陸士47期) 昭和16年 3月~17年 8月
平野博篤  中尉 (陸士51期) 昭和17年 8月~18年 1月
藤田重郎  大尉 (航士52期) 昭和18年 1月~19年 7月
松本三郎  中尉 (航士53期) 昭和19年 7月~19年10月

【第四中隊長】
河井田義匡 大尉 (陸士28期) 昭和 7年 6月~ 7年10月
城寺朝一  大尉 (陸士32期) 昭和 7年10月~10年 8月
新藤常右衛門大尉 (陸士36期) 昭和10年 8月~12年 8月
福田武雄  大尉 (陸士41期) 昭和12年 8月~13年 8月
岩橋譲三  大尉 (陸士45期) 昭和13年 8月~14年 9月 *総撃墜:21機以上

【整備隊長】
所 春美  大尉 (50期准)  昭和19年 3月~19年11月
宮岡 章  大尉 (陸士54期) 昭和19年11月~敗戦


昭和7年6月
飛行第一一大隊として編成。
飛行第一、三、四連隊よりの各1個中隊と、独立飛行第十中隊による。

【所属】
関東軍飛行隊

【機種】
甲式四号戦闘機、九一式戦闘機、九二式戦闘機

奉天、ハルピンに駐留。


昭和8年2月下旬
「熱河作戦」
2個中隊を綏中に派遣された。
地上戦直協に従事し、空戦は無し。

牧野中隊に黒野正二軍曹が所属していた。


昭和8年5月末
停戦により原駐地に帰還。

昭和10年12月
改編〔在満の飛行大隊を飛行連隊に昇格〕
飛行第一一連隊と改称〔編成は4個中隊のまま〕。

関東軍飛行集団司令部が設置され、飛行連隊16個を統一指揮することとなった。


『カンチャズ事件』
昭和12年6月
連隊主力は北安飛行場に前進。
戦場上空制圧のため待機。
停戦成立のため出撃中止。


『北支事変』
昭和12年7月
関東軍よりの臨時飛行団が北支に派遣。

昭和12年9月末~10月上旬
臨時飛行隊〔長:田坂国三少佐〕として偵察1個中隊と一一戦隊第二中隊〔長:能登義雄大尉/九一式戦12機〕が派遣された。
地上戦直協に従事、空戦は無し。

昭和12年12月20日
ハルピンに帰還。

昭和12年12月下旬~13年6月
九七式戦闘機への機種改変を行う。


昭和13年8月
改編。
空地分離される。

この頃、第一二飛行団が編成され、一戦隊と共に所属した。

昭和13年8月15日付
飛行第一一戦隊に名称変更。

【所属】
第一二飛行団
 団長/東 栄治 少将(陸士23期/士5期)

昭和14年3月
関東軍飛行集団は第二飛行集団に改称された。


第二飛行集団
【集団長】
儀峨辰三郎 中将 (陸士25期/士5期) 昭和14年6月~8月
【隷下部隊】
第七飛行団 
 飛行第一五戦隊 〔九七式偵察機:6機〕
 飛行第一戦隊  〔九七式戦闘機:23機〕
 飛行第一二戦隊 〔イ式中爆撃機:12機〕
 飛行場大隊(3個)
第九飛行団
 飛行第十戦隊  〔九七式偵察機:6機/九七式軽爆撃機12機〕
 飛行第六一戦隊 〔九七式重爆撃機:12機〕
 飛行場大隊(2個)
第一二飛行団   〔九七式戦闘機41機/九七式軽爆撃機10機/九四式偵察機6機〕
 飛行第二四戦隊
 飛行第一一戦隊
 飛行第十戦隊  


『第一次ノモンハン事件』
昭和14年5月23日
第一二飛行団に出動命令があり、一一戦隊第一、第三中隊〔約20機〕に出動を下令。

昭和14年5月24日~6月12日
戦隊はハイラルに終結。採塩所飛行場を前進基地に設定。

同日~26日
飛行場周辺の上空哨戒を行う。

昭和14年5月27日
「ハルハ河上空」
夕方 第一中隊〔島田大尉以下6機〕が高度3,300メートルにてハルハ河に沿って東
   進中、多数のソ連空軍のポリカルポフI-16戦闘機の多数編隊と遭遇、乱戦の末
   9機を撃墜し、全機無事帰還した。

第一中隊・第一編隊長 島田健二 大尉  *撃墜:I-16戦闘機3機
           篠原弘道 准尉  *撃墜:I-16戦闘機4機
           鈴木栄作 曹長  *撃墜:I-16戦闘機1機
【戦果】
撃墜:I-16戦闘機9機〔中隊合計〕
【ソ連側記録】 
被墜:8機
【被害】
無し

昭和14年5月28日
   第一、第三中隊が空戦を2次にわたり行う。
〔調査未完・詳細不明〕
第一中隊・第一編隊長 島田健二 大尉  *撃墜:I-15戦闘機5機
           篠原弘道 准尉  *撃墜:LZ偵察機1機、I-15戦闘機5機
           吉山文治 曹長  *撃墜:I-15戦闘機1機 
第三中隊・第一編隊長 藤田 隆 大尉
           木村三郎 准尉  *撃墜:I-15戦闘機1機
           花田富男 曹長  *撃墜:2機
           芦田正夫 曹長  *撃墜:1機
           大野善三郎軍曹
【戦果】
撃墜:42機〔第一中隊:21機/第三中隊21機〕
【ソ連側記録】
撃墜:3機
被墜:10機
【被害】
落下傘降下1機〔光富貞喜中尉(下士46期/少候17期)〕

昭和14年6月1日
「空戦」
〔調査未完・詳細不明〕
I-16戦闘機1機を撃墜。

昭和14年6月10日
関東軍による全航空部隊への原駐地帰還が下令。

昭和14年6月12日
一一戦隊はハルピンに帰還。


『第二次ノモンハン事件』
昭和14年6月19日
夜  第二飛行集団へ応急派兵が下令された。

昭和14年6月22日
「タムスク攻撃」
九七式戦17機
第二中隊       小林太郎 曹長
〔調査未完・詳細不明〕
【戦果】
撃墜:58機〔うち不確実8機〕
【ソ連側記録】
撃墜:30機
被墜:戦闘機12機(第22戦闘機連隊長/二コライ・グラズイキン少佐以下11名)
【被害】
損失:4機

昭和14年6月23日
飛行団司令部と一一戦隊第二、第四中隊が、採塩所飛行場に前進。

同日
「空戦」
  〔調査未完・詳細不明〕
第四中隊       奥田治郎 伍長


昭和14年6月24日
「ハルハ河上空戦」
   第四中隊はボイル湖東方にて約60機のソ連空軍戦闘機と交戦、12機を撃墜し
   た。その他、第二中隊も空戦を行い、3機を撃墜。
第二中隊       天野逸平 中尉  自爆
第三中隊       木村三郎 曹長  被弾、負傷 *撃墜:I-15戦闘機3機、
                    I-16戦闘機4機
第四中隊・第一編隊長 岩橋譲三 大尉  *撃墜:2機
        僚機 奥田治郎 伍長  *撃墜:1機
        列機 城本直晴 軍曹  *撃墜:1機
     第三編隊長 福田徳郎 中尉
第四中隊       加藤正治 曹長  *撃墜:6機
第四中隊       柴田力男 軍曹           
【戦果】
撃墜:26機〔第二中隊3機、第三中隊11機、第四中隊12機〕
【ソ連側記録】
撃墜:25機
被墜:2機
【被害】
損失:1機
【戦死者】
天野逸平  中尉 (下士29期/少候13期)第二中隊

同日、第一、第三中隊も、採塩所飛行場に前進した。

昭和14年6月27日
「タムスク攻撃」
   第二飛行集団(戦闘機74機、爆撃機57機)による全力攻撃。
   一一戦隊(第二中隊欠)の32機は、タムスクを離陸してきたソ連空軍の戦闘機
   多数と交戦。〔調査未完・詳細不明〕
第一中隊・第 編隊長 篠原弘道 准尉  *撃墜:I-15/16戦闘機11機
        列機 岩瀬孝一 曹長  全弾射耗 機体に被弾10数発   
           吉山文治 曹長  *撃墜:I-15戦闘機1機、I-16戦闘
                     機3機帰途、鈴木曹長を救出、帰還した。
           鈴木栄作 曹長  ボイル湖東方に不時着
第二中隊・第一編隊長 本村孝治 大尉
       二番機 滝山 和 中尉  *撃墜:I-16戦闘機1機
第二中隊・第三編隊長 花田 守 准尉  *撃墜:戦闘機6機
第三中隊・      木村三郎 准尉  *撃墜:I-15戦闘機3機、
                        I-16戦闘機4機
           花田富男 曹長  *撃墜:1機
第四中隊・第三編隊長 福田徳郎 中尉
        僚機 南 隆明 曹長  *撃墜:3機 被弾36発 敵機7機と交
                     戦、包囲されたが、一中隊の吉山曹長の
                     救援で帰還した。
第四中隊       城本直晴 軍曹  地上銃撃中に被弾、発動機が停止したが、
                    奥田機に援護され滑空で一戦隊基地に着陸
第四中隊       奥田治郎 伍長  *撃墜:3機
【総合戦果】
撃墜:98機
【総合被害】
損失:3機
【戦死者】
光富貞喜  中尉 (下士46期/少候17期)
堀 潔   曹長 (下士58期)
【負傷者】
木村三郎  准尉 被弾、負傷

昭和14年7月3日
「爆撃機迎撃」
夕方 来襲したSB爆撃機編隊を追撃。
第四中隊       奥田治郎 伍長  *撃墜:SB爆撃機1機

昭和14年7月4日以降
戦場上空にて連日のように空戦を行った。

同日
「空戦」
 〔調査未完・詳細不明〕
第三中隊・第一編隊長 藤田 隆 大尉 被弾、落下傘降下、負傷
     第二編隊長 東郷三郎 准尉
           古郡吾郎 曹長 *撃墜:SB爆撃機1機、I-16戦闘機1機
           花田富男 曹長 *撃墜:3機 着陸して藤田大尉を救出し帰還
           した。
【戦果】
撃墜:68機〔うち不確実15機〕

昭和14年7月6日
「空戦」
九七式戦17機
 〔調査未完・詳細不明〕
第二中隊・第三編隊長 花田 守 准尉  *撃墜:I-16戦闘機2機 燃料不足で不
                     時着〔北山曹長と〕
           北山   曹長  燃料不足で不時着〔花田准尉と〕
【戦果】
撃墜:26機
【被害】
損失:2機
【戦死者】
大徳直行  中尉 (陸士48期/士61期)
北山隆一  曹長 (下士60期)

昭和14年7月9日
「空戦」
九七式戦17機
 〔調査未完・詳細不明〕
【戦果】
撃墜:29機〔うち不確実1機〕
【被害】
損失:1機
【戦死者】
仲田登志  曹長 (下士69期)

昭和14年7月10日
「空戦」
 〔調査未完・詳細不明〕
九七式戦22機
第二中隊・第三編隊長 花田 守 准尉  *撃墜:I-16戦闘機6機 
                     大腿部に被弾、不時着救助
【戦果】
撃墜:64機〔うち不確実1機〕
【被害】
損失:1機
【戦死者】
花田 守  准尉 (下士38期)第二中隊 7月12日、病院にて死亡
                    *総撃墜数:17機

昭和14年6月23日~7月11日
ソ連空軍との交戦結果
【戦果】
撃墜:211機〔うち不確実6機〕
【被害】
戦死者:10名
負傷者:4名


昭和14年7月13日
「空戦」
〔調査未完・詳細不明〕
第四中隊・第三編隊長 福田徳郎 中尉  被弾、負傷 

昭和14年7月19日
〔調査未完・詳細不明〕
【戦死者】
難波部一  曹長  (下士65期)

昭和14年7月21日
「空戦」
〔調査未完・詳細不明〕
九七式戦24機
第二中隊       伊奈 明 曹長  *撃墜2機 対空砲火により被弾
【戦果】
撃墜:45機〔うち不確実7機〕
【被害】
損失:1機

昭和14年7月23日付
保有機:43機

同日
「空戦」
九七式戦40機
〔調査未完・詳細不明〕
第三中隊       芦田正夫 曹長  *撃墜:3機
【戦果】
撃墜:51機〔うち不確実8機〕
【被害】
損失:4機
【戦死者】
山口末雄  少尉  (下士50期/少候18期)
宮谷輝成  伍長  (少飛4期)


昭和14年7月24日
「空戦」
九七式戦50機
 〔調査未完・詳細不明〕
第二中隊       高垣春雄 伍長  *撃墜:2機
【戦果】
撃墜:43機〔内不確実14機〕
【被害】
損失:2機

昭和14年7月25日
「空戦」
 〔調査未完・詳細不明〕
第一中隊       篠原弘道 准尉  *撃墜:4機 被弾、草原に不時着 岩瀬
                    曹長に救出された
           岩瀬孝一 曹長  *撃墜:1機 篠原准尉と青柳曹長を救出
           青柳 豊 曹長  不時着した篠原准尉を救出のため、草原に
                    着陸したが、敵戦車の機銃掃射により、機
                    体が炎上、腰に貫通銃創を受けるが岩瀬曹
                    長により救出された
           吉山文治 曹長  *撃墜:3機 鹿島曹長を着陸し救出、帰
                    還した
第三中隊       花田富男 曹長  *撃墜:5機
第四中隊       鹿島真太郎曹長  被弾、落下傘降下、吉山曹長により救出さ
                    れた
【総合戦果】
撃墜:64機〔うち不確実5機〕
【戦果】
撃墜:12機〔第三中隊〕
【被害】
損失:2機
【負傷者】
青柳 豊  曹長  (少飛1期)    岩瀬曹長により救出されハルピン陸軍病院
                    に入院、停戦前に部隊に復帰、1~2回、
                    空戦に参加したと思われる。
                    *総撃墜数:12機以上
昭和14年7月29日
「空戦」
 〔調査未完・詳細不明〕
第二中隊・第 編隊長 滝山 和 中尉  *撃墜:1機 川又上空にて 約20機に
                    包囲され超低空にて脱出したが44発被弾
                    し、飛行場帰着時転覆した
第四中隊       奥田治郎 伍長  *撃墜:2機 川又上空にて
【戦果】
撃墜:68機〔うち不確実17機〕
【被害】
損失:3機

昭和14年7月23~25、29日
「空戦」
【戦果】
撃墜:117機

昭和14年8月1日
「空戦」
 〔調査未完・詳細不明〕

昭和14年8月5日
「空戦」
〔調査未完・詳細不明〕
第二中隊・第三編隊
       三番機 小林太郎 曹長  *撃墜:3機(うち1機体当りによる)自爆
第二中隊       石塚徳康 軍曹  *撃墜:1機 I-16と空中衝突、敵領内
                    に落下傘降下、9日に味方陸上部隊の斥候
                    に救出された。
【戦果】
撃墜:27機
【被害】
損失:1機
【戦死者】
小林太郎  曹長  (下士69期)   川又付近上空で敵大編隊と交戦、2機を撃
                    墜後、被弾発火しつつ別の1機に体当り、
                    自爆
                    *総撃墜数:10機以上
昭和14年8月7日
「空戦」
九七式戦50機
〔調査未完・詳細不明〕
第二中隊・第一編隊長 谷口正義 大尉
第三中隊・      木村三郎 曹長  *撃墜:I-16戦闘機1機 左股に被弾、
                    不時着 
           蒲原大助 曹長  *撃墜:1機
【総合戦果】
撃墜:50機〔うち不確実4機〕
【戦果】
撃墜:20機
【被害】
損失:1機
【戦死者】
木村三郎  曹長  (下士67期)第三中隊
                    被弾、負傷 ウズルスイ飛行場に不時着の
                    際、場外に接地し機体が転覆。翌日に死亡
                    した。
                    *総撃墜数:19機

昭和14年8月12日
「空戦」
 〔調査未完・詳細不明〕
[三次出撃]
第三中隊       芦田正夫 曹長  *撃墜:2機
[?次出撃]
第四中隊       奥田治郎 伍長  *撃墜:1機 川又上空
【戦果】
撃墜:14機
【被害】
損失:2機
【戦死者】
芦田正夫  曹長  (下士67期)第三中隊
                    9機と空戦、1機撃墜後に被弾、1機に体
                    当り自爆した
                    *総撃墜数:13機
奥田治郎  伍長  (少飛4期) 第四中隊
                    単機にて数機と空戦、被弾、墜落し自爆
                    *総撃墜数:14機

【総合戦果〔8月1日~12日〕】
撃墜:98機〔うち不確実11機〕

昭和14年8月21日付
保有機:32機

昭和14年8月21日
「タムスク攻撃」
 〔調査未完・詳細不明〕
【戦果】
撃墜:62機〔うち不確実8機〕
【被害】
損失:4機

昭和14年8月22日
「戦場上空哨戒」
第二中隊・第一編隊長 本村孝治 大尉  自爆
〔調査未完・詳細不明〕
【戦死者】
本村孝治  大尉  (陸士43期/士53期)第二中隊長
                    アライ付近の地上部隊を爆撃中の敵約30
                    機に単機にて突入、被弾しウスルスク飛行
                    場北方5キロに墜落し自爆、戦死。
                    *撃墜数:14機

昭和14年8月25日
「地上部隊上空制空」
第一中隊       鈴木栄作 曹長  自爆
〔調査未完・詳細不明〕
【戦果】
撃墜:24機〔うち不確実3機〕
【被害】
損失:2機
【戦死者】
鈴木栄作  曹長  (下士67期)   午後、帰還途中にI-15の奇襲を受け、
                    将軍廟東南約4キロに自爆
                    *総撃墜数:11機

昭和14年8月27日
「爆撃隊援護」
 〔調査未完・詳細不明〕
第一中隊・      篠原弘道 准尉  *撃墜:3機 被弾、自爆
        僚機 大野   曹長
【戦果】
撃墜:20機〔うち不確実3機〕
【被害】
損失:2機
【戦死者】
篠原弘道  准尉  (下士46期)第一中隊
                    アブダラ湖南方10キロモホヒレ湖付近に
                    墜落、自爆。
                    *総撃墜数:58機
柿添末次郎 准尉  (下士36期)

昭和14年8月29日
「空戦」
 〔調査未完・詳細不明〕
【戦果】
撃墜:20機〔うち不確実4機〕
【被害】
損失:1機

昭和14年8月30日
「空戦」
 〔調査未完・詳細不明〕
【戦果】
撃墜:33機〔うち不確実5機〕
【被害】
損失:2機

昭和14年8月31日
「空戦」
 〔調査未完・詳細不明〕
【戦果】
撃墜:26機〔うち不確実5機〕
【被害】
損失:無し

昭和14年9月1日
「空戦」
 〔調査未完・詳細不明〕
【戦果】
撃墜:40機〔うち不確実8機〕
【ソ連側記録】
撃墜:41機
被墜:無し
【被害】
損失:4機
 
【総合戦果〔8月21日~9月1日〕】
撃墜:74機

昭和14年9月1日付
第四中隊が飛行第一戦隊に編入され、同戦隊第三中隊となった。

昭和14年9月6日現在
保有機:24機

昭和14年9月14日
「空戦」
【戦果】
無し

昭和14年9月15日
「タムスク攻撃」
爆撃隊掩護
第一中隊・第一編隊長 島田健二 大尉 I-16戦闘機と交戦、未帰還
        僚機 吉山文治 曹長 I-16戦闘機と交戦、未帰還

【総合戦果】
撃墜:47機〔うち不確実8機〕
【ソ連側記録】
撃墜:20機
被墜:6機
【総合被害】
損失:8機
【被害】
未帰還:2機
【戦死者】
島田健二  大尉 (陸士45期/士48期)第一中隊長  
吉山文治  曹長 (少飛1期)      第一中隊


『ノモンハン航空戦』
【戦果】
撃墜:約580機〔うち不確実約50機〕
【被害】
戦死者:19名


昭和14年9月下旬(22日)
ハルピン(原駐地)に帰還。

昭和14年10月7日
「事故/ハルピン」
   空戦訓練中、花田富男曹長機と蒲原大介曹長機が空中衝突。
【殉職】
花田富男  曹長 (少飛1期)  *撃墜:25機
【負傷】
蒲原大介  曹長 (下士67期) 落下傘降下、軽傷 
                 *撃墜:確実9機、不確実3機 


昭和14年10月21日付
大陸命により中国派遣命令

昭和14年10月22日
武昌に進出。
武漢地区防空と地上作戦への直協に従事。


昭和15年11月20日
「湖北省」
〔調査未完、詳細不明〕
【戦死者】
倉野 蔚  軍曹  (少飛4期)   対空砲火

昭和15年11月30日
「荊門」
〔調査未完、詳細不明〕
【戦死者】
渋谷泰男  少尉  (航士53期)

昭和15年12月3日
「南京」
【戦病死】
浅野瑞彦  中尉  (航士51期)

昭和15年12月6日
「安徽省」
【殉職者】
清水 肇  曹長  (下士69期)  事故


昭和15年12月
ハルピンに帰還。〔武漢地区での作戦中に空戦は無し〕

第三中隊の東郷三郎中尉が航空士官学校教官に転任した。

昭和16年3月
金井守告軍曹〔第一中隊所属、篠原准尉の僚機として7機を撃墜〕が、飛行第八七戦隊〔団山子〕に転属。  


昭和16年6月~7月
「関特演」に参加のため、東満の杏樹に進出、待機した。

昭和16年9月6日
「事故」
関特演で展開中の勃利飛行場にて訓練中
【殉職者】
加藤正治  少尉 (下士55期/少候21期)

【所属】
第一二飛行団
 団長/青木武三大佐(陸士27期)
 飛行団司令部付/西原五郎曹長(下士67期) 

昭和16年11月6日
第一二飛行団への南方作戦転用命令。

第三飛行集団〔第三飛行団、第七飛行団、第一二飛行団、第一五独立飛行隊、八一戦隊〕に編入。


昭和16年11月14日
ハルビンを出発。
嘉義、広東を経由、28日サイゴンに移動。

昭和16年11月22日
「台湾海峡」
【殉職者】
小野寺孝治 中尉  (航士53期)  事故


イギリス極東空軍(司令部:シンガポール)
〔イギリス空軍〕
ブリストル「ブレニム」双発爆撃機   4個中隊
ビッカ-ス「ヴィルデビースト」雷撃機 2個中隊
コンソリデーテッド「カタリナ」飛行艇 1個中隊
〔オーストラリア空軍〕
ロッキード「ハドソン」双発爆撃機   2個中隊
ブリュスター「バファロー」戦闘機   3個中隊
〔ニュージーランド空軍〕
ブリュスター「バファロー」戦闘機   1個中隊
合計13個中隊:362機(うち現役機は233機)
シンガポールの4ヶ所の飛行場とペナン島、バターワース、コタバル、アロルスター各基地
〔昭和17年1月1日にホーカー「ハリケーン」戦闘機2個中隊(約50機)が増援された〕

昭和16年12月5~6日
飛行団司令部の九七式戦闘機6機〔青木武三大佐直率〕とともに九七式戦闘機39機が仏領インドシナ南端のフコク島クーカン飛行場に進出した。

昭和16年12月7日
「マレー上陸船団援護」
   岡部戦隊長以下交代で実施したが、当日は悪天候のために飛行団では1機が海没、
   2機が大破した。
【戦死者】
高見徳栄  准尉 (下士67期) 不時着水

昭和16年12月8日
朝  青木飛行団長指揮で飛行団全力が420キロの洋上を飛行、シンゴラ、パタニの上
   陸部隊の援護を実施。

同日
「パタニ上空援護」
   2機を撃墜。〔太平洋戦争における初撃墜〕
1110 占領直後のパタニ飛行場に進出、飛行場の整備状態が不良のため、転覆等で9機
   が使用不能となる。逐次給油後に泊地上空警戒に当たる。
【一二飛団総合戦果】
撃墜:6機〔うち不確実4機〕
【一二飛団総合被害】
損失:9機〔着陸時破損〕
【英軍記録】
被墜:2機

昭和16年12月10日~14日
泊地上空哨戒、北マレー各地を攻撃。
28機を撃墜破した。


昭和17年1月10日
クアンタンに前進。

『シンガポール進攻作戦』
昭和17年1月12日
「第一次シンガポール攻撃」
英極東空軍のブリュスターF2A「バッファロー」戦闘機と交戦。
【戦果】
撃墜:第一中隊8機
   第二中隊2機
   第三中隊3機

以後、2月中旬まで『シンガポール進攻作戦』に参加した。

昭和17年1月24日
【英軍記録】
未帰還:ロッキード「ハドソン」爆撃機2機

昭和17年1月25日
「船団上空掩護」
南部マレーのエンドウへ航空作戦用の資材〔4,500本の航空ガソリンのドラム缶、13万発の機銃弾、80トンの爆弾等〕を運ぶ船団〔徴用船「関西丸」「かんべら丸」、護衛の海軍第三水雷戦隊の軽巡洋艦「川内」と駆逐艦6隻。24日深夜にシンゴラ港を出港〕

朝  一一戦隊はコタバル飛行場より出撃。
午後 クアンタン飛行場より飛行第一戦隊の九七式戦が出撃。

昭和17年1月26日
「船団上空掩護/第一次」
1430頃 上空哨戒を実施中、エンドー泊地上空に敵編隊が来襲。
    シンガポールのセンバワン飛行場を出撃した、ブリュスターF2A「バッファ
    ロー」戦闘機6機で護衛した英空軍のビッカース「ヴィルデビースト」攻撃機
    15機、と、豪空軍のロッキード「ハドソン」爆撃機9機をホーカー「ハリケ
    ーン」戦闘機9機、ブリュスターF2A「バッファロー」6機で護衛した攻撃
    隊を、谷口大尉指揮の第二中隊9機と、交代のため飛来した一戦隊10機〔指
    揮官:小柳武次郎大尉〕が共に迎撃。
【戦果】
撃墜:17機
【被害】
無し〔一戦隊の窪谷敏郎中尉が落下傘降下、2月16日戦傷死〕
【英軍記録】
損失:「ヴィルデビースト」攻撃機5機
損傷:「バッファロー」戦闘機6機以上、「ハリケーン」戦闘機若干機

「船団上空掩護/第三次」
1800過ぎ ロッキード「ハドソン」爆撃機6機、ブリストル「ブレニム」爆撃機5機が
     来襲。一一戦隊の9機と一戦隊の6機が迎撃したが、薄暮のため有効な空戦を
     行う事が出来なかった。
【戦果】
撃墜:1機〔不確実〕
【被害】
無し
【英軍記録】
損失:「ハドソン」2機〔帰途墜落〕

昭和17年1月27日
「船団上空掩護」
   第一二飛行団は延べ126機出撃。
   来襲無し。
   揚陸作業は無事終了。

【第三飛行集団/総合戦果】
撃墜:40機〔戦闘機9機、雷爆撃機30機、飛行艇1機〕(うち不確実5機)
【第三飛行集団/総合被害】
損失:97式戦闘機1機(落下傘降下)
【英軍記録】
損失:「ヴィルデビースト」11機、
   「アルバコア」    2機、
   「ハドソン」     2機、
   「ハリケーン」    1機
損傷:10機以上〔大破〕

昭和17年1月28日
「クアンタン飛行場被爆」
   ジャワを出撃した米空軍のボーイングB-17重爆撃機4機の奇襲を受け、クア
   ンタン基地が被爆。
   爆弾が一一戦隊居住区地区に集中、多数の被害を出した。
【一二航空団被害】
炎上:9機
大破:3機
中小破:6機
【戦死者】
12名(うち操縦者5名)
古閑喜久男 中尉 (航士52期)
大野善三郎 曹長 (少飛3期)  *撃墜:22機
小野 宏  中尉 (航士54期)
原口初司  伍長 (少飛6期) 
渡辺昌美  伍長 (少飛6期)

昭和17年2月
高橋武夫軍曹(少飛5期)第一野戦補充飛行隊より第三中隊付

昭和17年2月8日現在
操縦者41名(うち技量甲30名)

『パレンバン進攻作戦』
昭和17年2月13日
バトパハに前進。

昭和17年2月15日
パレンバンに進出。

その後、『ジャワ攻略作戦』協力のため、スマトラ島南部のタンジュンカランに前進。
九七式戦闘機は航続力不足のため、進攻作戦には参加せず、船団掩護や基地防空等に従事。

昭和17年3月4日
1個中隊をパレンバン防空のため残留させ、本隊〔九七式戦14機〕はタンジュンカランよりシンガポールで短期間の練成訓練を行った。

『中部ビルマ攻略作戦』
昭和17年3月19日
ビルマのラングーン付近にあるレダ飛行場に展開した。

昭和17年3月21日
「マグエ進攻」
   戦闘機延べ73機、爆撃機延べ78機
午後 一二飛団は31機〔一戦隊を含む〕で、爆撃隊を援護。
   岡部戦隊長機が米義勇飛行隊フライングタイガースのカーチスP-40「ウォホ
   ーク」戦闘機の奇襲を受け戦死。
【総合戦果】
撃墜:8機
大破:27機
【総合被害】
自爆:1機
【戦死者】
岡部 貞  少佐 (陸士35期/士19期)

昭和17年4月
トングー北飛行場に進出。
その後、ミンダンに移動。

昭和17年5月5日
   フライングタイガース攻撃のため雲南省保山に進攻。
   P-40戦闘機の奇襲を受ける。
【戦果】
撃墜:2機
【被害】
損失:戦闘機3〔4?〕機、爆撃機3機
【戦死者】
須藤芳雄  曹長 (少飛2期)
鈴木勘一  曹長 (下士75期)
日浦信雄  曹長 (下士81期)
渡辺五平  曹長 (下士82期)


昭和17年5月末より
ラングーン地区の防空にあたる。


昭和17年6月25日
機種改変の為、九七式戦は同地に残留し、ラングーンよりシンガポールへ移動。
シンガポールよりは海路にて内地に向かう。

昭和17年7月30日
明野に帰還。

昭和17年8月初め
一式戦闘機Ⅰ型への改変を開始した。

昭和17年9月中旬より
逐次、明野を出発。
シンガポール/テンガー飛行場に30数機が終結した。

昭和17年10月20日まで
ミンドラガン飛行場へ進出した。

昭和17年10月25日
「チタゴン攻撃」

昭和17年10月26日
「雲南駅攻撃」

昭和17年10月28日
「雲南駅攻撃」

英空軍の迎撃等に従事。


『南東方面航空戦』

【所属】
第一二飛行団
 団長/岡本修一中佐(陸士33期)
 司令部員/佐藤少佐、司令部付/長谷川中尉
 飛行第一戦隊長/武田金四郎少佐(陸士36期)
 飛行第一一戦隊長/杉浦勝次少佐(陸士41期)

昭和17年11月2日
大本営陸軍部は、第一二飛行団に転進命令を下達。
飛行団司令部と飛行第一一戦隊が先行することになり、修理機をラングーン航空分廠に提出、可動機は16~19日に逐次シンガポールに集合。
シンガポールの野戦航空廠にて完全装備機数、各中隊12機、本部6機、予備機6機、計48機を充足。
各中隊操縦者12名ほか予備人員も補充。


昭和17年11月22日現在
飛行第一一戦隊 空中勤務者:57名

〔本部:7名〕
【将校】
長:杉浦勝次少佐(陸士41期)、長谷川智在中尉(下士36期)
【准士官】
馬場准尉
【下士官】
黒柳曹長、藤井曹長、小田忠夫軍曹(予下士)、友広堅造伍長(少飛6期)

〔第一中隊:16名〕
【将校】
長:宮林茂徳大尉(陸士51期)、斎藤 隆中尉(航士53期)、小林中尉(特志)、
四至本広之丞中尉(航士54期)、長与 寿少尉(航士55期)、川越康男少尉(航士55期)
【准士官】
吉竹 正准尉(少飛2期)
【下士官】
堀曹長、綿貫 清曹長(下士77期)、高木留吉曹長(下士81期)、浜田軍曹、滝沢 了伍長(少飛6期)、重信満州男伍長(少飛6期)、青山清二伍長(少飛6期)、桂川 武伍長(少飛7期)
/入校派遣中:岡田曹長

〔第二中隊:17名〕
【将校】
長:谷口正義大尉(陸士47期/士70期)、 佐藤哲男中尉(航士53期)、柳川共可中尉(航士54期)、池田保義少尉(航士55期)、佐野 均少尉(航士55期)
/入校派遣中:藤田中尉(航士52期)
【准士官】
上登能 弘准尉(少飛2期)、飛田准尉
【下士官】
宮本太策曹長(下士81期)、山崎曹長、高垣春雄曹長(少飛4期)、前田軍曹、佐々木軍曹、
清見(川)修一伍長(少飛6期)、中村一成伍長(少飛6期)、加藤健次伍長(少飛7期)、甲斐保一伍長(少飛7期)

〔第三中隊:17名〕
【将校】
長:平野博篤中尉(航士52期)、木村中尉(航士53期)、山県清隆中尉(航士54期)、
中川隆雄中尉(特志)、松本少尉(航士55期)、落合一郎少尉(航士55期)
/入校派遣中:西川 正中尉(航士54期)
【准士官】
なし
【下士官】
山口曹長、鰐淵曹長、栗原健次郎軍曹(下士82期)、妹尾光雅軍曹(少飛5期)、高橋武夫軍曹(少飛5期)、近藤一雄軍曹(予下士)、飯田正男伍長(少飛6期)、薮内三郎伍長(少飛6期)、橋口利治伍長(少飛7期)、伊藤照義伍長(少飛7期)


昭和17年11月27日
各中隊ごとに1時間半の間隔をあけ、建制順にシンガポール・テンガー飛行場を出発。
昼過ぎ 戦隊全機がジャワ島東端マラン飛行場に到着。

昭和17年11月28日
第六飛行師団が編成される。

【師団長】
板花義一中将 (陸士22期)
【参謀長】
早淵
【作戦主任参謀】
笹尾
【後方主任参謀】
金重
【隷下部隊】
第一二飛行団〔ラバウル西飛行場(ブナカナウ)〕
 飛行団司令部   〔定数:人員65名/自動車8台〕 
 飛行第一戦隊   〔定数:一式戦闘機「隼」:37機 人員266名/自動車5台〕
 飛行第一一戦隊  〔定数:一式戦闘機「隼」:37機 人員266名/自動車5台〕
白城子教導飛行団
 飛行第四五戦隊  〔定数:九九式双発軽爆撃機:27機 人員464人〕
 飛行第二〇八船隊 〔定数:九九式双発軽爆撃機:27機 人員464人〕
独立飛行第七六中隊 〔定数:一〇〇式司令部偵察機:9機〕
飛行場大隊(4個) 〔定数:人員712名、車両66台(1個大隊)〕
 第四八飛行場大隊 〔定数:人員:約300名/トラック40台〕
野戦飛行場設定隊〔5個〕
航空通信連隊
第一四野戦航空補給廠 


昭和17年12月2日
マラン北方のスラバヤ飛行場に移動。

昭和17年12月4日
スラバヤ飛行場より港へ機を運搬、海軍の特設航空母艦「雲鷹」に搭載。

昭和17年12月5日
夕刻 スラバヤを出航。
飛行第一一戦隊は定数37機のほか、予備機24機、操縦者61名(うち技量甲47名)

昭和17年12月13日
早朝 トラック島に到着。春島飛行場に飛行機の運搬を開始。
昼前 終了。

昭和17年12月18日
一式戦64機〔飛行団司令部機、連絡機2機を含む〕が、海軍一式陸上攻撃機3機(誘導2機、最後尾〈故障機収容〉1機)〔9機説もあり〕ともに春島飛行場を出発。
洋上飛行を行い全機ラバウル西飛行場に到着。
到着直後より海軍と協同し、ラバウルの防空についた。

昭和17年12月19日
「偵察B‐17迎撃」
午前 ボーイングB‐17「フォートレス」爆撃機が高々度にて飛行場偵察に侵入。
   警急姿勢にあった一中隊の1個編隊(一式戦3機)が、目視迎撃に離陸したが
   捕捉できず。

昭和17年12月22日 
「偵察B‐17迎撃」
朝  ボーイングB‐17爆撃機1機が高々度にて飛行場偵察に侵入。
   警急姿勢にあった二中隊の柳川中尉編隊(一式戦9機)が、目視迎撃に離陸。
   セントジョージ水道上空7,000メートルにて捕捉、全機12.7ミリ機関砲
   を全弾発射し、命中弾多数と判断されたが撃墜できず。

昭和17年12月23日
「偵察B‐17迎撃」
   高々度偵察に侵入したB‐17を、第三中隊の1個編隊が迎撃。約30分追撃し
   攻撃したが撃墜できず。

同日
「ブナ偵察」
午後 第一中隊長:宮林大尉が単機にて東部ニューギニア方面ブナ地区の天候気象と地
   形偵察を行う。

昭和17年12月24日
「ブナ地区上空救援」
0700 本部編隊5機、第二中隊8機が、ブナ地区地上軍救援のためラバウル西飛行場よ
   り出撃。ニューブリテン島南岸に沿って飛行、スルミ飛行場より海上に出たが天
   候不良のため反転引き返す。

【編成】
本部編隊(5機):谷口正義大尉、友広伍長、黒柳曹長、馬場准尉、小田軍曹
第二中隊(8機):東條大尉、上登能准尉、飛田准尉、高垣曹長、ほか4名

同日
「偵察B‐17迎撃」
午前 宮林第一中隊長が僚機とともに迎撃。撃墜できず。

昭和17年12月26日
「ブナ地区上空救援」
0655 第一中隊11機、本部編隊4機が出撃。
   悪天下のブナ南飛行場上空に高度4,000メートルにて進攻。上空にてロッキ
   ードP‐38「ライトニング」双発双胴戦闘機、カーチスP‐40「ウォホーク」
   戦闘機と空戦。

【編成】
本部編隊(4機):藤井曹長、ほか3名
第一中隊(11機):宮林大尉、今村曹長、ほか9名
【個人戦果】
宮林大尉 撃墜:P‐40戦闘機4機(うち不確実1機)、P‐38戦闘機2機
【被害】
自爆:一式戦2機
【戦死者】
今村良一 曹長 (下士79期) 第一中隊  ブナ沖
藤井弘一 曹長 (下士82期) 本部    ブナ沖

昭和17年12月27日
「ブナ地区上空支援」
0730 戦隊長杉浦少佐直率の本部編隊、第一中隊、第二中隊、第三中隊31機が出撃。
   海軍の九九式艦爆12機、零戦12機と合同。第三中隊長平野中尉指揮の8機
   が、艦爆隊を直掩し、戦隊長指揮の23機は制空隊として後上方に占位した。
1000 ブナ上空高度4,500メートルに進入。艦爆隊は高度2,000メートルよ
   り敵陣地を爆撃。
   戦隊主力はP‐38戦闘機10機、P‐40戦闘機2~3機と交戦。
   第三中隊は海軍部隊を海上まで援護後に戦隊主力の戦闘圏に加入。
   別働のP‐38戦闘機8機と交戦。
   第三中隊の栗原軍曹機は被弾のため、ニューブリテン島中央北岸にある半島のタ
   ラセア東海岸付近のジャングルに不時着。翌日、海軍の水上飛行艇にて救出され
   た。
【編成】[筆者注:調査未完、詳細不明]
本部編隊:杉浦少佐
第一中隊:宮林大尉、吉竹准尉
第二中隊:東條大尉
第三中隊:平野中尉、栗原軍曹
【戦果】
撃墜:P‐38戦闘機7機(うち不確実3機)
【被害】
損失:一式戦2機(自爆1機、不時着1機)
〔海軍被害〕
損失:2機(自爆1機、不時着1機)
【戦死者】
吉竹 正 准尉 (少飛2期)  第一中隊  ブナ沖

昭和17年12月29日
戦隊はシンガポール・テンガー飛行場に移動、98FRより11機を受領し、機材の整備や武装の改修を行う。

昭和17年12月30日
「一八作戦」準備のため、飛行団の輸送機にてスルミ飛行場に第一、二中隊より整備員7、武装2、通信1の計10名が派遣された。

昭和17年12月31日
「一八作戦」準備のため、ラエの東西両飛行場へ海軍の陸攻4機に分乗、本部および各中隊より選抜された整備員、武装係や通信員30名〔派遣隊長/第二中隊整備班長:森沢 誠中尉(陸士54期)〕が、第一中隊に援護されラバウル西飛行場を出発。

1014 ラエ上空にてノースアメリカンB‐25「ミッチェル」双発爆撃機11機、ロッ
   キード「ハドソン」双発爆撃機9機、P‐38戦闘機12機と遭遇、交戦。
【編成】[筆者注:調査未完、詳細不明]
第一中隊 :四至本中尉 被弾・落下傘降下(数日後に海軍機によりラバウルに帰還)
ラエ派遣隊:森沢中尉 整備23名〔各中隊7名、本部2名〕、
      武装4名〔各中隊1名、本部1名〕、通信2名
【戦果】
撃墜:P‐38戦闘機4機(うち不確実2機)
撃破:ハドソン爆撃機2機(黒煙を吐かせる)
【被害】
損失:一式戦1機(被弾・空中火災、落下傘降下)

「一八作戦」に備え、本部付の下士官操縦者は全員第一、第二中隊に配置転換した。それに伴い整備員も移動した。

昭和17年12月末頃の戦隊の地上勤務者[筆者注:調査未完]
〔本部整備班〕
班長 :谷本證准尉、整備員:岡田軍曹、有馬軍曹、池信軍曹、杉本昇一伍長、
   上岡伍長、西谷芳盛伍長、無線係:折笠広栄軍曹
〔第一中隊整備班〕
整備員:中原正人兵長、和田三之助、野田隆義、武装係:森与之助兵長
〔第二中隊整備班〕
班長 :森沢 誠中尉、整備員:長谷部曹長、野村 定、吉清吾作、無線係:水谷 清
〔第三中隊整備班〕
整備員:菅野新喜、松山不二男、武装係:鈴木光雄
昭和18年1月5日
「ラバウル迎撃」
0728 高度3,000メートルで飛行場爆撃をおこなったB‐17爆撃機2機を、哨戒中
   の第二中隊が攻撃、うち1機を撃墜(不確実)した。
1020 B‐24爆撃機/B‐17爆撃機の混成13機が高度3,000メートルでラバ
   ウル湾の船舶を爆撃。
   在空の哨戒機と警急姿勢の第二中隊、および他の中隊が迎撃。
1200 一八船団〔輸送船「智福丸」(5,800トン)「日竜丸」(5,500トン)
   「妙高丸」(4,100トン)「くらいど丸」(5,500トン)「ぶらじる丸」
   (5,800トン)、駆逐艦5隻〕がラバウルを出港。

【編成】[筆者注:調査未完、詳細不明]
第一中隊 長与少尉  未帰還(単機にて追撃したまま戻らず)
第二中隊 上登能准尉 撃墜・B‐17爆撃機1機(数撃の反復射撃により)
     高垣曹長  落下傘降下(機体に被弾、空中火災のより)

【戦果】
撃墜:B‐17爆撃機2機(うち1機不確実)、B‐24爆撃機2機(不確実)
[筆者注:一式戦によるB‐17爆撃機の初撃墜]

【被害】[筆者注:調査未完により詳細不明]
損失:一式戦2機(未帰還1機/被弾・空中火災、落下傘降下1機)

【戦死者】
長与 寿  少尉 (航士55期) 第一中隊

同日
「船団上空掩護」
1200~1400 第一中隊 ラバウル西発進
1350~1600 第二中隊 ラバウル西発進
1550~1730 第三中隊 ラバウル西発進 スルミ着

【殉職者】
加藤健次 伍長 (少飛7期)  第二中隊 故障のためスルミに不時着、夜間、ラバウル西飛行場の西南方ジャングルに墜落。

昭和18年1月6日
「船団上空掩護」
0415~0600 第三中隊 スルミ発進
0550~0800 第一中隊 ラバウル発進~スルミ
0750~1000 第二中隊 ラバウル発進~スルミ
0840    B‐24爆撃機1機が西方より、ついでB‐17爆撃機1機が偵察目的で
      来襲。掩護中隊が1個編隊で撃退。
0942    B‐24爆撃機1機が高度2,000メートルにて来襲。掩護中隊は2個
      編隊の主力で攻撃、撃墜。
0950~1200 第三中隊 スルミ発進
1150~1400 第一中隊 スルミ発進~ラエ
1215    ショートサンダーランド飛行艇2機が高度2,000メートルで来襲。
      掩護中隊が撃退。
1220    B‐24爆撃機1機が高度3,000メートルにて来襲、撃退。
1350~1600 第二中隊 スルミ発進~ラエ
1550~1730 第三中隊 スルミ発進~ラエ

昭和18年1月7日
「船団上空掩護」
0430~0600 第二中隊 ラエ発進
0550~0730 第一中隊 ラエ発進
0720~0900 第三中隊 ラエ発進
0850~1030 第二中隊 ラエ発進
1020~1200 第一中隊 ラエ発進
1150~1330 第三中隊 ラエ発進
1320~1500 第二中隊 ラエ発進
1450~1630 第一中隊 ラエ発進
1620~1830 第三中隊 ラエ発進

昭和18年1月8日
「船団上空掩護」
0430~0600 第一中隊 ラエ発進
0600~0730 第三中隊 ラエ発進
0730~0900 第二中隊 ラエ発進
0900~1030 第一中隊 ラエ発進
1030~1200 第三中隊 ラエ発進
1200~1330 第二中隊 ラエ発進
1500~1630 第三中隊 ラエ発進
1630~1800 第二中隊 ラエ発進

昭和18年1月9日
「船団上空掩護」
0430~0530 第三中隊 ラエ発進
0530~0630 第一中隊 ラエ発進
0630~0730 第二中隊 ラエ発進
0730~0830 第三中隊 ラエ発進
0830~1000 第一中隊 ラエ発進

昭和18年1月9日
飛行第一一戦隊の出撃可能機数は15機。

『ガダルカナル島第一次撤退援護/航空撃滅戦』
「第一次」
海軍の零戦72機、陸攻12機が出撃。
小型機10数機と交戦。
撃墜7機、被害5機(未帰還)。

昭和18年1月5日~10日
「十八号作戦上空掩護」
第八方面軍によるラエに対する船団輸送の上空掩護を海軍と協同で行う。その際にラエ、ニューブリテン島のスルミ飛行場を利用した。
5日のラバウル出航から、10日の帰港までを延べ283機で掩護に当たった。

【交戦機数】
約160機(B‐17/B‐24/P‐38/A‐20等)

【戦果】
撃墜:15(うち不確実13)機

【被害】
自爆・未帰還:6機
大破・炎上:10機
操縦者戦死:7名

【戦死者】
長与 寿 少尉 (航士55期) 第一中隊  ラバウル 1月5日
佐々木隆義軍曹 (予下士)   第二中隊  ラバウル 1月6日
平野博篤 中尉 (航士52期) 第三中隊  長ラエ沖 1月7日
中川隆雄 中尉 (特志)    第三中隊  ラエ沖  1月7日
綿貫 清 曹長 (下士77期) 第一中隊  ラエ沖  1月7日
甲斐保一 伍長 (少飛7期)  第二中隊  ラエ沖  1月7日
栗原健次郎曹長 (下士82期) 第三中隊  ラエ沖  1月8日
操縦者殉職:1名

【殉職者】
加藤健次 伍長 (少飛7期)  第二中隊  スルミ  1月5日
操縦者負傷:3名
沈没:輸送船2隻

昭和18年1月26日
ガダルカナル撤退作戦の掩護のため飛行第一一戦隊は、杉浦戦隊長が第三中隊を直率、第一、第二中隊は中隊ごとにブカ島にで進出した(1500頃までに一式戦33機が集結)。
午後 第一二飛行団司令部(一式戦)3機、第一戦隊(一式戦Ⅱ型)36機、第四五戦隊の九九式双発軽爆撃機9機、第七六中隊の百式司令部偵察機2機はショートランド島バラレに展開。

昭和18年1月27日
「ガダルカナル島攻撃」
0610  一一戦隊の一式戦33機は、ブカを離陸。
0655  バラレ上空にて、一戦隊と協同で軽爆隊(四五戦隊)を援護し、
    ガダルカナル島へ進攻した。
    コロンバンガラ島上空付近にて、一一戦隊長機が反転、高度を下げ引き返す。
0845  ガダルカナル島上空に進入、高度5,500メートル、ルンガ岬南方上空で、
    第一戦隊は小型機と交戦。P‐38戦闘機2機、P‐39戦闘機3機、
    F4F戦闘機1機を撃墜。損害6機(自爆1機、未帰還4機、不時着1機)
0900頃 空戦終了、帰途につく。一一戦隊第三中隊は後方よりP‐38数機の追尾攻撃
    を受けたが撃退。ムンダに着陸し給油。ラバウルに帰還した。

昭和18年2月1日
「ガダルカナル島攻撃」
四五戦隊:九九式双軽6機、一一戦隊:一式戦23機で、ガダルカナル島攻撃。
0920 九九式双軽はヘンダーソン飛行場に対して急降下爆撃を行う。

【戦果】
撃墜:戦闘機4機(一一戦隊)
撃破:大型機9機(四五戦隊)

『ガダルカナル島第二次撤退援護』
一一戦隊はラバウルよりムンダを機動飛行場として使用し、第二次撤退輸送の駆逐艦の直掩を行う。

昭和18年2月4日
「上空直衛(第一次)」
1300 第一中隊が駆逐艦19隻の援護任務
1358 高度3,000メートルにてP‐40戦闘機2~3機、F4F戦闘機10機が
   来襲。SBD爆撃機12~13機が高度4,500メートルにて東北方より
   来襲、急降下爆撃に入る。
   第一中隊は直ちにSBD爆撃機群を攻撃。

【戦果】
撃墜:SBD爆撃機2機、F4F戦闘機2機、P‐40戦闘機1機

【被害】
自爆:1機

【戦死者】
青山    伍長 (少飛6期) 第一中隊  

「上空直衛(第二次)」
1505 第一中隊(一式戦5機)は高度2,000メートルにて来襲したSBD爆撃機
   を攻撃。
1510 F4F戦闘機10機、P‐40戦闘機4~5機が高度4,000メートルにて
   来襲。交代に到着した一戦隊の1個中隊と協同して攻撃。

【戦果】
撃墜:SBD爆撃機3機(うち不確実1機)、F4F戦闘機1機(不確実)

【被害】
自爆:1機
中破:駆逐艦1隻(曳航帰還)
小破:駆逐艦1隻

【戦死者】
友広    伍長 (少飛6期) 第一中隊(戦隊本部)

昭和18年2月6日
「ワウ攻撃」

昭和18年1月27日~2月8日(12日間)の第六飛行師団の損害
一式戦闘機「隼」    18機
九九式双発軽爆撃機   10機
一〇〇式司令部偵察機   1機



昭和18年4月30日
第六飛行師団は、司令部をラバウルからニューギニア東北岸のウエワクに移動した。

昭和18年8月
ハルビンで戦力回復

昭和18年12月
南昌に展開
「一号作戦」参加
福生(東京)にて、四式戦闘機に機種改変

【戦隊長】代理
四至本広之丞 大尉 (航士54期)

【第一中隊長】
春日井敏郎  大尉 (航士53期)

【第二中隊長】
井上 敬一  中尉 (航士55期)

【第三中隊長】
利田 信造  大尉 (陸士54期/85期)

【整備隊長】

【所属】
第12飛行団 [1/11/22FR]

【飛行団長】
川原 八郎  中佐 (陸士34期/28期)

昭和19年5月12日
大陸命で第一二飛行団は在フィリピンの第二飛行師団に編入された。

昭和19年10月22日
第一二飛行団長:川原八郎中佐に率いられ四式戦闘機7機で、ルソン島中部にあるクラーク基地群マルコット基地に進出。 

昭和19年10月23日
第一二飛行団の四式戦:可動25機。[1FR:20/11FR:5]一一戦隊の可動5機は、一戦隊と合流してマニラより90キロ南方の前進基地リパ飛行場に移動。

昭和19年10月24日
「第1次レイテ航空総攻撃」
第一二飛行団長:川原八郎中佐直率で、一戦隊の四式戦10機は、一一戦隊の四式戦6機とともに、リパ飛行場を発進したが、同行する飛行三戦隊の九九式双発軽爆撃機隊の発進が遅れ、単独進攻した一二飛行団は、オルモック湾上空で空戦の後、ネグロス島マナプラ基地に着陸。
同じく単独進行した軽爆隊は有効な攻撃が出来ないまま、米戦闘機群に捕捉され全滅した。

【12FB被害】
損失:四式戦7機?

【1FR戦死】7名
利田 信造 大尉 (陸士54期/85期)第3中隊長
川喜多正夫 准尉 (下士75期)
馬場 正一 准尉 (下士79期)
辻中清太郎 准尉 (下士81期)
佐々木光一 曹長 (少飛6期)
岩下 愛恒 軍曹 (少飛7期)
小久保留夫 伍長 (少飛11期)

昭和19年10月25日
「レイテ」

【12FB被害】

【1FR戦死】
春日井敏郎 大尉 (航士53期)    第1中隊長
井上 敬一 中尉 (航士55期)    第2中隊長
川原 欣三 中尉 (航士56期)
福田 数之 伍長 (少飛11期)

昭和19年10月26日
「レイテ」

【12FB被害】

【戦死者】
1FR  平野彦晴  准尉 (下士72期)
11FR 南山 守  曹長 (下士87期)

昭和19年10月28日  

【12FB被害】
1FR  松村俊輔  少佐 (陸士46期/52期)戦隊長  *ネグロス島/払暁出撃時
                             の離陸事故
1FR  牧野 実  中尉 (航士55期)
11FR 福島与吉  曹長 (下士89期)         *レイテ

昭和19年11月1日
戦力回復命令を受け、4日に下館に帰還。


*未完稿


【参考文献】
主要参考文献 を参照下さい。

[筆者注:調査未完のため、今後、大幅に加筆、改定を予定しています]

2005-04-13  (1)初稿
2005-04-13  (2)初稿
2005-10-22  (1)第2稿 一部加筆
2005-10-22  (2)第2稿 一部加筆
2006-09-17  (1)第3稿 一部加筆
2006-09-17  (2)第3稿 一部加筆
2006-10-15より(1)第4稿 南東方面作戦を大幅加筆中
2007-06-23  (1)第5稿 大幅改訂
2007-06-23より(2)第4稿 大幅改訂
2011-02-26  (1)と(2)を合体
2011-07-07  ノモンハン事件部分を加筆

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