旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-陸軍編

   トップ > 航空戦史-陸軍編 > 陸軍飛行戦隊-飛行第一戦隊

飛行第一戦隊


【四式戦装備の第一戦隊[第三期]を掲載します。以前に作成したもので未完成であり、光学メディアよりの転記ですから、ちょっと読み難いかもしれません。
また、未定稿ですので大幅な変更があります。ただし、何時になるかは筆者にも分かりません。】

飛行第一戦隊

幹部将校
戦隊長
 松村俊輔   少佐 (46期)18. 3~19.10
 橋本重治   大尉 (53期)19.11~19.12
 四至本広之丞 大尉 (54期)20. 4~20. 8
                    *総撃墜機数7機(別に不確実がほぼ同数)
戦隊長代理
 四至本広之丞 大尉 (54期)19.12~20. 4
第一中隊長
 春日井敏郎  大尉 (53期)18. 9~19.10
第二中隊長
 沢山義隆   大尉 (52期)18. 1~19. 8
 井上敬一   中尉 (55期)19. 8~19.10
第三中隊長
 利田信造   大尉 (54期)19. 1~19.10
整備隊長
 沢野三千雄  大尉 (53期)19. 4~19.11
 壁谷利之   大尉 (55期)19.11~20. 8

所属:第一二飛行団 [1/11/22FR]
飛行団長
 川原八郎 中佐  (陸士34期/28期)

昭和19年4月
一式戦闘機Ⅱ型より最新鋭の四式戦闘機「疾風」への改変が開始される。

昭和19年5月12日
大陸命で第一二飛行団は在フィリピンの第二飛行師団に編入された。

昭和19年8月30日
第一戦隊の30機は西部軍隷下に移り、福岡県雁の巣飛行場に位置、中国大陸より来襲のB-29の迎撃態勢に就いた。

昭和19年10月8日
捷号決戦のため、柏飛行場を四式戦38機で出発したが、最初の着陸地の雁の巣飛行場へ到着したのは23機という状況で、航空総攻撃前日の10月23日の可動数は20機であり、遅れた10機は24日やっとクラークに追及したが、新機材への不慣れと操縦者の練度低下が痛感された。

昭和19年10月11日
大本営陸軍部は明野教導飛行師団に戦闘飛行師団編成を命じ、第四航空軍の指揮下に入れた。これが第三〇戦闘飛行集団で、第一二飛行団【第一、第一一、第二二飛行戦隊】、第一六飛行団【第五一、第五二飛行戦隊】、第二〇〇戦隊のいずれも、四式戦装備の部隊で編成された。
レイテ攻防戦が開始されると、四航空軍は第三〇戦闘集団を第二飛行師団に配属した。

昭和19年10月23日
第一二飛行団の四式戦:可動25機。[1FR=20/11FR=5]

昭和19年10月24日
「レイテ航空総攻撃」
第一二飛行団長:川原八郎中佐直率で、一戦隊の四式戦10機は、一一戦隊の四式戦6機とともに、リパ基地を発進したが、同じ基地より発進予定だった三戦隊の軽爆の発進が遅れ、単独進攻した一二飛行団は、オルモック湾上空で空戦の後、ネグロス島マナプラ基地に着陸。戦闘機と合同できなかった軽爆隊も単独進攻し全滅した。〈注-1
【1FR被害】
損失:四式戦7機?
【戦死者】
利田信造  大尉 (陸士54期/85期)第3中隊長
川喜多正夫 准尉 (下士75期)
馬場正一  准尉 (下士79期)
辻中清太郎 准尉 (下士81期)
佐々木光一 曹長 (少飛 6期)
岩下愛恒  軍曹 (少飛 7期)
小久保留夫 伍長 (少飛11期)

昭和19年10月25日
「レイテ」
【1FR被害】
損失:四式戦 機?
【戦死者】
春日井敏郎 大尉 (航士53期)    第1中隊長
井上敬一  中尉 (航士55期)    第2中隊長
川原欣三  中尉 (航士56期)
福田数之  伍長 (少飛11期)

昭和19年10月26日
「レイテ」
【1FR被害】
損失:四式戦 機?
【戦死者】
平野彦晴  准尉 (下士72期)1FR
南山 守  曹長 (下士87期)11FR

昭和19年10月28日
「ネグロス」
払暁出撃時の離陸事故
【1FR被害】
損失:四式戦 機?
【戦死者】
松村俊輔  少佐 (陸士46期/52期)1FR戦隊長
牧野 実  中尉 (航士55期)1FR
福島与吉  曹長 (下士89期)11FR *レイテ

昭和19年10月31日
保有8機/うち可動3機

昭和19年11月1日
戦力回復命令を受け、7日に生き残り操縦者は下館に帰還。

昭和19年12月7日
特別操縦見習士官(特操)を主体とする補充者を加えて、新戦隊長:橋本重治大尉指揮の約40機で下館を出発。前回進出時の教訓により、各機は機付整備員を胴体に収容して前進した。

昭和19年12月17日
戦隊はルソン島ポーラック飛行場に終結を完了。

昭和19年12月22日
戦隊長が単機で出動して戦死。
【戦死者】
橋本重治 大尉 (航士53期) 1FR戦隊長 *クラーク

同日
「ミンドロ沖」
【戦死者】
佐々木光一 軍曹 (少飛 7期) 1FR   *ミンドロ沖
大橋三之  軍曹 (下士91期) 1FR   *ミンドロ沖
田中光一  中尉 (航士56期) 73FR  *ミンドロ沖
増住弘之  少尉 (航士57期) 73FR  *ミンドロ沖

その後、一一戦隊より四至本大尉を戦隊長代理に迎え、サンホセ攻撃、クラーク地区防空等の任務に
従事した。

昭和19年12月24日
「クラーク地区迎撃戦」
【戦死者】
佐藤寛司  中尉 (航士56期) 1FR   *クラーク
山上直治  軍曹 (少飛 7期) 1FR   *クラーク
神吉吉弘  大尉 (航士55期) 73FR  *クラーク
松本茂夫  少尉 (特操 1期) 73FR  *クラーク
大石甲子治 軍曹 (少飛 9期) 100FR  *クラーク

昭和19年12月25日
「ミンドロ沖」
【1FR戦死】
川原欣三  中尉 (航士56期)     *ミンドロ沖

同日
「クラーク」
【1FR戦死】
太田精吉郎 少尉 (特操 1期)     *クラーク
【73FR戦死】
富岡喜久雄 少尉 (特操 1期)     *クラーク
中島 透  少尉 (特操 1期)     *クラーク

昭和19年12月29日
「ミンドロ」
【1FR戦死】
鬼塚吉一 軍曹 (少飛6期)       *ミンドロ

昭和20年1月4日
「ルソン島」
【1FR戦死】
高波吉夫 伍長 (少飛12期)      *ルソン島

昭和20年1月5日
第一二飛行団の可動機は約20機に減少。
特攻志願者を募り、翌6日から12日まで2機づつリンガエン湾の艦船に特攻を反復して、ほぼ戦力を消耗。

昭和20年1月6日
生存した操縦者と一部の地上勤務員は、15日ごろから逐次台湾の潮州に後退し、戦力回復に努めたが、3月には内地に帰還し、下館で再編成に着手した。
一方、フィリピンに残留した地上勤務員は、北部ルソンとネグロス島で山中に入って地上部隊に編入され、悪戦苦闘の末、大半が戦死し、21名が復員した。

〈注1〉
戦闘機隊と軽爆隊とで、事前の打ち合わせが出来ていなかったのがその主因であった。
それについては、高木俊朗著「陸軍特別攻撃隊」に関係者の証言をもとに詳細な経緯が書かれている。


【参考文献・資料】
主要参考文献 を参照下さい。

[筆者注:資料不足で調査未完です。今後大幅に加筆、改訂予定しています。

初稿  2005-04-09 09:25



copyright © 2011 旧軍戦史雑想ノート all rights reserved.
inserted by FC2 system