旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-陸軍編

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インパール作戦【ウ号作戦】


*航空戦
インパール作戦中の航空作戦および各部隊の作戦行動について、連合国空軍の動きも含めて調査する予定ですが、現状では調査未完のためアウトラインのみです。


第五飛行師団【高兵団】〔司令部:ラングーン〕

【所属】
第三航空軍【司兵団】 〔司令部:シンガポール〕

【師団長】
 田副 登 中将(陸士26期)

【参謀長】
 鈴木 京 大佐(陸士35期)

【師団編成】
師団司令部
第四飛行団
 飛行第五〇戦隊(戦闘)
 飛行第八戦隊 (司偵、軽爆)
第七飛行団
 飛行第六四戦隊(戦闘)
 飛行第一二戦隊(重爆)
 飛行第六二戦隊(重爆)
 飛行第八一戦隊(司偵)
第一航空地区司令部
第七航空地区司令部
第一五航空地区司令部
 第八二飛行場大隊
 第一五飛行場大隊
 第一七飛行場大隊
 第一九飛行場大隊
 第二三飛行場大隊
 第二七飛行場大隊
 第五二飛行場大隊
 第九二飛行場大隊
 第九四飛行場大隊
航空通信第一聯隊
第一六航空情報隊
第一七航測隊
第四野戦飛行場設定隊
第七野戦飛行場設定隊
第八野戦飛行場設定隊
高射砲第二〇聯隊
野戦高射砲第三三大隊
野戦高射砲第三六大隊

昭和19年3月1日
五飛師司令部は、中部ビルマ東側のシャン高原カロウに前進した。
その後、中部ビルマのシュウェポに前進。

昭和19年3月5日
「シルチャール攻撃」
九九式軽爆9機〔8FR〕、一式戦30機〔50/64FR〕が、シュウェポ飛行場を発進。
インド・アッサム州シルチャール飛行場攻撃に向かう。
飛行場進入前に戦闘機による邀撃を受け、攻撃は失敗した。
シュウェポ帰還後、すぐに連合軍の戦闘機隊の奇襲を受け、戦爆10数機は炎上した。
【戦果】
不明
【被害】
不明
同日
中部ビルマの飛行場〔マグウェ、メイティラ、メイミョウ、へホ等〕が、連合軍の大規模な空襲を受けた。
空挺部隊降下の陽動作戦。
午後8時、インド・アッサム州ハイラカンディ飛行場を発進したのは、大型グライダーCG‐4「ハドリアン」2機を曳航したダグラスC‐47「スカイトレーン」輸送機61機。北ビルマ、マンダレーとミッチナの中間にあるカーサ付近に飛来。その内35機がカータ南方20キロの林間にグライダーを降下させた。別の一隊はカータ東北方80キロ地点に空挺部隊を降下させた。翌6日も引き続き大規模な武器弾薬、燃料、食料、機材を輸送した。

昭和19年3月6日
五飛師司令部はカロウに帰還。

同日
62FRの重爆は前進途上のマウビで、ボーファイターの銃撃により1機が炎上した。(同日夜の可動機15機)

昭和19年3月7日
戦闘機がカーサ付近の敵空挺部隊拠点を攻撃した。

昭和19年3月8日
師団はシュウェポにある3個飛行場に戦闘機50/64FRと重爆62FRを終結させる計画であったが、62FRが誤って他飛行場に着陸、指揮が混乱し攻撃は中止となる。
[筆者注:62FRは浜松で百式重爆「呑龍」Ⅰ型に機種改編し、2月24日にビルマ・スンゲイパタニに到着したばかりであった]
1700頃 62FRは指定されたシュウェポ中飛行場へ到着したところを、英空軍第一
    航空コマンド航空群のP‐51A戦闘機に襲撃された。
【被害】
炎上:百式重爆6機、一式戦5機

同日
「レド夜間攻撃」
昼間爆撃が中止となったため、12FRの野本少佐以下九七式重爆3機が離陸。しかし、集合ができず、野本機のみがレドに対して推測爆撃をおこなった。

昭和19年3月9日
62FRはマウビに帰還する際、離陸事故で1機を喪失した。(可動機8機となる)

同日
ビルマ北部のカーサ南方にグライダーが降下した。
 
62FRはスンゲイパタニに戻り、百式重爆は昼間攻撃隊とし、97式重爆を使用する夜間攻撃隊を大下勉大尉(52期)を長として編成した。

昭和19年3月10日
偵察によりカーサ付近に飛行場3ヶ所が作られ、うち2ヶ所にはすでに戦闘機の在地が確認された。

昭和19年3月12日
「シルチャール攻撃」
【兵力】
一式戦闘機:60機[50/64/204FR]
【戦果】
撃墜   :16機
【被害】
損失   :1機
【戦死者】
石山繁雄  伍長 (少飛10期) 64FR  ビルマ

昭和19年3月13日
62FRの夜間攻撃隊はトングーに前進した。(~18日までインパールに対して夜間攻撃隊延べ10機が出撃し、2機が未帰還となる)

昭和19年3月15日
夜間 一式戦約60機〔50/64/204FR〕で、インパール攻略に向かう第一五軍の第一五、三一師団のチンドウィン川渡河の上空を交代で護衛。

昭和19年3月27日
「レド攻撃」
当日、目標上空は厚い雲に覆われ、ゆっくりと2回爆撃進入を行ったが、目標が確認できなかった。雲下より目標を捕捉しようと高度を下げ3度めの進入をはかったところを、上空よりレーダー誘導の米第10航空軍のP‐40/P‐51戦闘機85機(うち交戦したのは23機で重爆11機撃墜を報じている)が攻撃してきたが、帰還するための燃料がぎりぎりの一式戦は苦戦した。
62FR重爆は爆弾を投棄し離脱を図ったが、第三編隊長の大野明中尉機が機上戦死3名を出し、友軍戦線内に不時着したのみで、全機を喪失。戦隊長、中隊長2名以下70名が戦死した。
【兵力】
一式戦闘機 :60機[50/64/204FR]
百式重爆撃機:9機[62FR]
【戦果】
撃墜:15機
《相手側記録/被墜2機》
【被害】
損失:一式戦闘機:4機 百式重爆撃機:8機
《相手側記録/撃墜:24機》
【戦死者】
上口十三雄 伍長 (少飛10期) 64FR  ミートキーナ
橋口虎雄  伍長 (少飛10期) 64FR  ミートキーナ
 ほか50FR:2名
第五飛行師団の3月の損失は60機に達した。

昭和19年4月3日
「インパール市街地夜間攻撃」
62FRの九七式重爆4機が出撃。上領次郎大尉(54期)機、飯田通郎中尉(55期)機が未帰還。

昭和19年4月4日
「インパール市街地夜間攻撃」
12FRの九七式重爆5機が出撃。天候不良のため攻撃は不成功に終わった。山口文治大尉(54期)機が未帰還。

昭和19年4月8日
「インパール北飛行場攻撃」
夜 62FRの九七式重爆3機が出撃。

昭和19年4月9日
「インパール北飛行場攻撃」
早朝 12FRの九七式重爆が出撃。

昭和19年4月17日
「インパール攻撃」
12FRの重爆6機が、戦闘機の援護を受け、パレル飛行場を攻撃。
【兵力】
一式戦闘機:50機
爆撃機  :6機
【戦果】
撃墜   :6機
【被害】
損失   :一式戦闘機3機

同日
「インパール夜間攻撃」
夜 62FRの九七式重爆4機が出撃。パレル飛行場を攻撃

昭和19年4月24日
「インパール夜間攻撃」
重爆数機

昭和19年4月25日
「インパール夜間攻撃」
重爆数機

昭和19年4月26日
「インパール夜間攻撃」
重爆数機

昭和19年4月27日
「インパール夜間攻撃」
重爆数機

*4月も天候が悪かったが、5月に入り本格的な雨季に入った。

昭和19年5月9日
「インパール夜間攻撃」
夜 62FRの九七式重爆3機が出撃。

昭和19年5月10日
「インパール攻撃」
早朝 12FRの九七式重爆が出撃。昨夜と同目標を攻撃。

昭和19年5月11日
「インパール攻撃」
早朝 62FRの4機が、インパールとポリバザーに向かったが、悪天候にため攻撃は
   不徹底に終わる。 

同日
「メイクテーラ迎撃」
【兵力】
?機[64/204FR(87FRを含む?)]
【戦果】
撃墜:7機[うち不確実4機]
【被害】
損失:3機

昭和19年5月15日
「コヒマ攻撃」
一式戦25機〔50/64FR〕が、30キロ爆弾2発を搭載し、コヒマの戦車や野砲陣地を爆撃。

昭和19年5月17日
「サドッズップ西飛行場攻撃」
62FRの大下 勉大尉(52期)指揮の重爆5機が出撃。これが最後のインパール正面攻撃となった。
1機が未帰還となる。

昭和19年6月
第五飛行師団の航空兵力:合計81機(輸送機は0)
第一五軍は動員10万人、戦死3万人、負傷2万人、他に3万人が病気と餓死寸前となり自滅した。



【参考文献・資料】
主要参考文献 を参照下さい。

[筆者注:今後大幅に加筆、改訂を予定しております]

初稿  2005-04-29
第2稿 2005-07-15 一部加筆
第3稿 2005-07-27 重爆戦隊部分を加筆
第4稿 2005-09-06 師団編成部分を加筆



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