旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-陸軍編

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第六飛行師団【洋兵団】


[まだ、構想段階で調査未完のため、不十分な記事で読みがたい部分もありますが、逐次、加筆・改訂していく予定ですのでよろしくお願いします]

第六飛行師団

【編成】
昭和17年11月28日

【編成地】
東京

【復帰】
昭和19年8月31日、復帰(廃止)

【師団長】
板花義一 中将 (陸士22期)

【隷下部隊】
第一二飛行団〔ラバウル西飛行場(ブナカナウ)〕
 飛行団司令部   〔定数:人員65名/自動車8台〕
 飛行第一戦隊   〔定数:一式戦闘機「隼」:37機 人員266名/自動車5台〕
 飛行第一一戦隊  〔定数:一式戦闘機「隼」:37機 人員266名/自動車5台〕
白城子教導飛行団
 飛行第四五戦隊  〔定数:九九式双発軽爆撃機:27機 人員464人〕
 飛行第二〇八船隊 〔定数:九九式双発軽爆撃機:27機 人員464人〕
独立飛行第七六中隊 〔定数:一〇〇式司令部偵察機:9機〕
飛行場大隊(4個) 〔定数:人員712名、車両66台(1個大隊)〕
 第四八飛行場大隊 〔定数:人員:約300名/トラック40台〕
野戦飛行場設定隊  〔5個〕
航空通信連隊
第一四野戦航空補給廠

【経過】
昭和17年9月
大本営陸軍部は、ビスマルク諸島ニューブリテン島ラバウル所在の第一七軍〔沖兵団〕の直属として独立飛行第六七中隊を派遣することを下令した。[中隊のラバウル到着は10月下旬で、海軍の東飛行場(ラクナイ飛行場)に展開した]

昭和17年11月
第六飛行師団が編成される。

昭和17年11月下旬
大本営陸軍部は、第一二飛行団に転進命令を下達。
飛行団司令部と飛行第一一戦隊が先行することになり、16~19日に逐次シンガポールに集合、12月初旬にスラバヤに移動。

昭和17年12月5日
海軍の護送空母「雲鷹」に移乗しトラックに向かう。
飛行第一一戦隊は定数37機のほか、予備機24機、操縦者61名(うち技量甲47名)

昭和17年12月11日
海軍の改装空母「竜鳳」が、飛行第四五戦隊の九九式双発軽爆撃機22機と付属部隊を搭載し、横須賀を出港した。

昭和17年12月12日
「竜鳳」が、八丈島付近で米潜水艦「ドラム」の雷撃を受け損傷、引き返したため輸送は中止となる。

昭和17年12月13日
「雲鷹」は、無事トラック着。

昭和17年12月18日
一式戦64機[筆者注:飛行団司令部も含まれると思われる]が海軍の一式陸攻9機に誘導され洋上飛行を行い、無事ラバウル西飛行場に到着した。
到着直後より海軍と協同し、ラバウルの防空についた。

昭和17年12月22日
「ラバウル迎撃/11FR」
偵察任務のボーイングB‐17「フライングフォートレス」四発重爆撃機を一式戦3機で迎撃したが、撃墜できなかった。

昭和17年12月23日
「ラバウル迎撃/11FR」
前日と同様に一式戦9機で迎撃したが、今回も撃墜できなかった。

昭和17年12月26日
「ブナ攻撃/11FR」
宮林大尉以下15機がブナに進攻、カーチスP‐40「ウォホーク」戦闘機と初空戦を行い、6機を撃墜。
【戦死者】
今村良一 曹長 (下士79期) 11FR  ブナ沖
藤井弘一 曹長 (下士82期) 11FR  ブナ沖

昭和17年12月27日
「ブナ攻撃/11FR」
谷口少佐以下31機で、海軍と協同でブナに進攻。初めてロッキードP‐38「ライトニング」双発双胴戦闘機と空戦。7機を撃墜した。
【戦死者】
吉竹 正 准尉 (少飛2期)  11FR  ブナ沖

昭和17年12月下旬
飛行第一戦隊がシンガポールより空母に便乗しトラックへ向かう。
飛行第一戦隊は定数37機のほか、予備機24機、操縦者49名(うち技量甲34名)

昭和17年12月29日
飛行第一四戦隊〔九七式重爆撃機Ⅱ型装備〕に対しラバウル派遣が下令された。
11FRはシンガポール・テンガー飛行場に移動、98FRより11機を受領し、機材の整備や武装の改修を行う。

昭和18年1月4日
飛行第一戦隊がトラックに到着

昭和18年1月5日
「ラバウル迎撃/11FR」
B‐17爆撃機2機を撃墜[一式戦によるB‐17爆撃機の初撃墜]

昭和18年1月5日~10日
「十八号作戦上空掩護」
第八方面軍によるラエに対する船団輸送の上空掩護を海軍と協同で行う。その際にラエ、ニューブリテン島のスルミ飛行場を利用した。
5日のラバウル出航から、10日の帰港までを延べ283機で掩護に当たった。
【交戦機数】
約160機(B‐17/B‐24/P‐38/A‐20等)
【戦果】
撃墜:15(うち不確実13)機
【被害】
自爆・未帰還: 6機
大破・炎上 :10機
操縦者戦死 : 7名
【戦死者】
長与 寿  少尉 (航士55期) 11FR  ラバウル 1月5日
佐々木隆義 軍曹 (予下士)   11FR  ラバウル 1月6日
平野博篤  中尉 (航士52期) 11FR  ラエ沖  1月7日
中川隆雄  中尉 (特志)    11FR  ラエ沖  1月7日
綿貫 清  曹長 (下士77期) 11FR  ラエ沖  1月7日
甲斐保一  伍長 (少飛7期)  11FR  ラエ沖  1月7日
栗原健次郎 曹長 (下士82期) 11FR  ラエ沖  1月8日
操縦者負傷:3名
沈没   :輸送船2隻

昭和18年1月9日
飛行第一戦隊の第一陣の一式戦33機がラバウルに進出した。

同日
飛行第一一戦隊の出撃可能機数は15機。

昭和18年1月下旬
第六師団のブーゲンビル島輸送援護のため第一二飛行団長は飛行第一戦隊(36機)を率いて、バラレ島に進出した。
同時期に飛行第45戦隊の6機が、バラレ基地に進出した。

昭和18年1月26日
ガダルカナル撤退作戦の掩護のため飛行第一一戦隊はブカ島に33機で進出した。

昭和18年1月27日
「ガダルカナル島攻撃」
1FR/11FRで軽爆隊(45FR)を援護し、ガダルカナル島へ進攻した。

昭和18年2月1日
「ガダルカナル島攻撃」
45FR:九九式双軽6機、11FR:一式戦23機で、ガダルカナル島攻撃。
九九式双軽はヘンダーソン飛行場に対して急降下爆撃を行う。

昭和18年1月27日~2月8日(12日間)の第六飛行師団の損害
一式戦闘機「隼」   18機
九九式双発軽爆撃機  10機
一〇〇式司令部偵察機  1機

昭和18年2月3日
飛行第一四戦隊は、ジャワ島マラン飛行場に進出。
ニューギニア北部のバボ、ウエワク飛行場の概成まで待機。

昭和18年2月24日
飛行第一四戦隊はマランを出発。
ケンダリー、バボ、ウエワクを経由。

昭和18年3月2日
飛行第一四戦隊36機(全機)が、無事、ラバウル南(ココポ)飛行場に到着。

昭和18年
第一二飛行団と交代のため、第一四飛行団〔飛行第六八戦隊、飛行第七八戦隊〕がラバウルに派遣されることになった。

昭和18年4月
飛行第六八戦隊がラバウルに到着。
三式戦27機のうち13機が不時着または行方不明となった。

昭和18年4月30日
第六飛行師団は、司令部をラバウルからニューギニア東北岸のウエワクに移動した。
独立飛行第八三中隊〔九九式軍偵察機12機(18年5月より)〕編入。

昭和18年8月12日付
第一四飛行団が、第四航空軍司令部の直属となり、第七飛行師団の指揮下に入った。


飛行第二四八戦隊は別稿あり。


初稿  2005-05-12
第2稿 2005-05-18 一部加筆
第3稿 2005-05-20 一部加筆
第4稿 2005-06-14 一部加筆
第5稿 2006-03-11 一部加筆



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