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付録「最貧前線」黒潮部隊雑想ノート


【はじめに】
最初にお断りして置きますが、この記録は決して実際戦闘に従事した方々を卑下して書いた物ではありません。
宮崎 駿氏の『雑想ノート』のなかの「最貧前線」よりインスパイアされて稿を起こしたものであり、当時の日本の国力に対しての「最貧前線」というネーミングであるとをご理解下さい。

太平洋戦争中に徴用された特設監視艇は407隻、終戦時在籍していたのは約100隻でした。

【特設監視艇とは】
海軍の分類では特設特務艇に属し、大部分は遠洋漁業用の底曳網船や鰹鮪船を徴用したもので、総トン数は約80~150トン、乗員は15~20名で半数は海軍軍人で半数は元々の旧漁船員が乗組んでいた。艇長は予備士官か兵曹長クラスであった。兵装は7.7ミリ機銃1丁と三八式小銃数丁を開戦後に爆雷を搭載するようになった。
また、13ミリ機銃あ対潜用に短5センチ砲を搭載した艇もあった。

【経過】
昭和16年10月頃
監視艇隊の整備が始まる。

昭和16年12月
38隻が各鎮守府や警備府に配備され、日本近海にて哨戒を行っていた。

昭和17年2月1日付
第一監視艇隊、第二監視艇隊が、特設監視艇72隻を以って編成され、第五艦隊に付属した。
第二二戦隊〔特設巡洋艦「赤城丸」「粟田丸」「浅香丸」〕と監視艇隊で哨戒部隊を編成、東方哨戒を行うことになった。

昭和17年2月25日付
第三監視艇隊が編成された。

昭和17年3月下旬
【編成】
(北方部隊)
第五艦隊〔司令官:河瀬四郎中将〕
 第二二戦隊〔司令官:吉良俊一少将〕(基地:釧路) 通称:黒潮部隊
 特設巡洋艦「赤城丸」
      「粟田丸」
      「浅香丸」
 第一哨戒隊(25隻)
  旗艦:特設砲艦「安州丸」
   第一小隊:監視艇5隻
   第二小隊:監視艇5隻
   第三小隊:監視艇5隻
   第四小隊:監視艇5隻
   第五小隊:監視艇5隻
 第二哨戒隊(25隻)
  旗艦:特設砲艦「興和丸」
   第一小隊:監視艇5隻
   第二小隊:監視艇5隻
   第三小隊:監視艇5隻
   第四小隊:監視艇5隻
   第五小隊:監視艇5隻
 第三哨戒隊(26隻)
  旗艦:特設砲艦「第一雲洋丸」
   第一小隊:監視艇5隻
   第二小隊:監視艇5隻
   第三小隊:監視艇5隻
   第四小隊:監視艇5隻
   第五小隊:監視艇6隻

昭和19年4月
第四監視艇隊が編成された。
北東方面艦隊・第二二戦隊・第二基地航空部隊・第二哨戒隊(基地:占守島・鳥川)
 旗艦:特設砲艦「豊国丸」
   A哨戒隊:監視艇9隻「第二旭丸」
             「第三千代丸」
             「新洋丸」
             「第三昭和丸」
             「大鷗丸」
              ほか
   B哨戒隊:監視艇9隻「麗光丸」
             「第一福徳丸」
             「第一振興丸」
              ほか
   C哨戒隊:監視艇9隻「三重丸」
              ほか
【指揮官】
林 利作  中佐  〔19年4月9日付、「豊国丸」に着任〕

昭和19年12月
6個監視艇隊が設置され、その総数は200隻を越えていた。

【主な戦闘記録】

昭和17年4月17~18日
「ドーリットル空襲時の機動部隊との交戦」
〔4月17日〕
正午 本土東方700浬、北緯36~29度間の洋上で哨戒を実施していた第二哨戒隊
   [特設巡洋艦「粟田丸」、特設砲艦「安州丸」「興和丸」、特設監視艇20隻]
   と第三哨戒隊[特設巡洋艦「浅香丸」、特設砲艦「第一雲洋丸」、特設監視艇
   16隻]が交代した。
〔4月18日〕
0630 釧路に向け航行中の第二哨戒隊所属の特設監視艇「第二三日東丸」(90トン)
   が、北緯36度、東経152度10分地点にて「敵飛行機3機見ユ針路南西、
   敵飛行機2機見ユ」と第一報を打電。
0650 「敵航空母艦3隻見ユ」と米機動部隊発見を打電。
   (実際には空母「ホーネット」「エンタープライズ」の2隻)
   「第二三日東丸」は、軽巡「ナッシュビル」の砲撃により沈没した。
   この30分間に6通の電文を発信した。
   「ホーネット」はドーリットル隊を発進ご、反転避退。
   「エンタープライズ」は3時間に渡り付近海域に留まり、付近の監視艇に対し
   航空攻撃を行った。
【被害】
沈没   :特設監視艇「第二三日東丸」
           「長渡丸」
大破   :特設監視艇「長久丸」
(船体放棄)     「第二一南進丸」
           「第一岩手丸」
中・小破 :特設巡洋艦「粟田丸」
      特設砲艦 「興和丸」
      特設監視艇「第三千代丸」
           「栄吉丸」
           「第二旭丸」
           「第二六南進丸」
           「海神丸」
戦死者  :33名
負傷者  :23名

昭和17年5月10日
「対潜攻撃/第五恵比須丸」
朝 特設監視艇「第五恵比須丸」(131トン/東海遠洋漁業〈焼津漁港所属の
  ケッチ型帆船で鰹1本釣漁船〉)が、本土の東方600浬にて米潜水艦
  「シルバーサイズ」と浮上戦を行う。
  潜水艦の7.6インチ砲と12.7ミリブローニング機銃に対して、九二式
  7.7ミリ水冷式機銃と三八式6.5ミリ歩兵銃で応戦、1時間余りの戦闘で
  「第五恵比須丸」は大破、戦死者が続出した。
《米軍記録》
損傷:潜水艦「シルバーサイズ」
   (砲の装填手の水兵1名が戦死、艦橋構造物に被弾、損傷した。)
*「シルバーサイズ」の戦果は商船23隻を撃沈。スコアは第3位。

昭和18年4月30日
「対潜攻撃/第五恵比須丸」
特設監視艇「第五恵比須丸」が、南鳥島北方で米潜水艦「スコーピオン」と遭遇、浮上潜を行う。
魚雷1本が命中し、「第五恵比須丸」は沈没した。
《米軍記録》
損傷:潜水艦「スコーピオン」
   (先任将校1名が戦死、砲手3名が負傷した)
*「スコーピオン」は戦時中、「第五恵比須丸」以外に商船4隻を撃沈したが、黄海で特設敷設艦の敷設した機雷により沈没した。

昭和18年6月16~24日
「白糖灯台沖対潜攻撃」
〔6月16日〕
三陸白糖灯台沖にて、大湊空の飛行機が潜没している潜水艦を発見。水偵6機と特設駆潜艇「水上丸」の協同攻撃により、大量の油の湧出を確認した。
〔同日〕
岩手県釜石沖にて、第二六一五船団(3隻)を護衛中の駆逐艦「野風」と水偵の対潜攻撃の記録もある。
〔6月22日〕
1045 大湊空の水偵が、白糖灯台沖にて船団護衛中、船団前方に移動する油泡を発見。
   この油泡の前方80~100メートルに対潜爆弾2発を投下。
   応援の水偵が到着、対潜爆弾を投下した。
午後 敷設艦「白神」と特設監視艇「宮丸」(81トン/宮城県大浜漁業組合)が到着
   し、爆雷を投下した。
   その後、特設監視艇「海和丸」(99トン)、特設駆潜艇「水上丸」(97トン
   )、特設駆潜艇「文山丸」(97トン/日本海洋漁業)が到着、さらに爆雷攻撃
   を行う。
夕方 重油の湧出点は移動を停止した。
〔6月23日〕
「白神」、「水上丸」が現場に到着。
0845 爆雷投下
0925 再度、爆雷を投下。
   水偵により投下された対潜爆弾は59発、水上艦艇による爆雷投下は66発。
【戦果】
撃沈:潜水艦1隻
[水偵/敷設艦「白神」/特設監視艇「宮丸」/特設監視艇「海和丸」/特設駆潜艇「水上丸」/特設駆潜艇「文山丸」による協同により]
《米軍記録》
喪失:潜水艦「ランナー」
   (艦長:J・H・ブーランド少佐以下78名全員が戦死)
*「ランナー」の戦果は貨物船1隻のみと推定される

昭和18年7月[筆者注:調査未完のため、日付不詳]
「千島列島南方哨戒線/工進丸」
0500過ぎ 特設哨戒艇「工進丸」は、東方より来襲した中型爆撃機(B-24?)に
     より、3回にわたり攻撃を受ける。
1200過ぎ 3度目の爆撃により至近弾爆発で、船体は大損害を受け大破し、沈没寸前
     となる。
乗員は急を聞いて駆けつけた僚艇「第三三南進丸」に救助された。
【被害】
大破・船体処分:特設哨戒艇「工進丸」
戦死者:6名
負傷者:4名

昭和19年5月14日
「千島列島北方哨戒線」
0805 第四監視艇隊A哨戒隊の「第二旭丸」(艇長:福繁 栄)、「第三千代丸」が
   ノースアメリカンB-25B「ミッチェル」双発爆撃機と交戦。
   後部銃座の銃撃により、戦闘見張り中の馬場和雄上兵曹と通信中の浜中源吾軍
   属が受弾、重傷。
0825 交戦終了。
【被害】
損傷 :特設哨戒艇「第二旭丸」
負傷者:2名(重傷)

昭和19年6月14~18日
「三陸沖対潜攻撃」
〔6月14日〕
八戸の北方海域で、「相模川丸」(6,886トン/東洋海運)が雷撃を受ける。被害は不明だが沈没はしなかった。大湊防備部隊、北三陸部隊、大湊空が協同して潜水艦を探知、追跡。白糖灯台の北東7.7浬付近の機雷原に追い込んだ。
追跡艦艇は付近で、コルクや筏の破片を発見、幅50メートル、長さ5,200メートルの油帯を確認、撃沈確実とした。
〔6月18日〕
0700 北三陸部隊の特設監視艇「宮丸」(81トン/宮城県大浜漁業組合)が、物見崎
   南西10キロに南方へ幅100メートル、長さ2キロの油帯を発見。
0830 大湊空の水偵が現場に到着し、対潜爆弾3発を投下。
0849 「宮丸」が爆雷を投下。
1100 水偵が幅10メートル、長さ200メートルの油の流出を確認。
1300 「宮丸」が再度爆雷を投下。この攻撃で直径2メートルの気泡が上がり、油が湧
   出してきた。
1550 応援に来た特設駆潜艇「文山丸」(97トン/日本海洋漁業)が爆雷を投下。
2010 幅100メートルにわたり油が広がってきた。
「文山丸」「宮丸」が投下した爆雷は18個。
【戦果】
撃沈:潜水艦1隻[水偵/特設監視艇「宮丸」/特設駆潜艇「文山丸」]
《米軍記録》
喪失:潜水艦「ゴレット」
   (艦長:J・S・クラーク中佐以下82名全員が戦死)
*「ゴレット」による撃沈戦果はない。

昭和19年11月17日
太平洋上を哨戒中の監視艇「ふさ丸」は、浮上してきた米潜水艦「ロンキル」と砲戦を行う。
「ふさ丸」は、「ロンキル」の、40ミリボーフォース機関砲、12.7センチ砲により大破・放棄された。
この交戦で、「ロンキル」は、後部発射管上の魚雷積み込み口が爆発。また、船体の耐圧区画で2箇所の貫通部分があったため、作戦を中止し、ハワイの基地に帰還した。原因は40ミリ砲弾が、後甲板に張ってあったワイヤーに触れ、爆発したことがあげられる。
《米軍記録》
損傷:米潜水艦「ロンキル」
*「ロンキル」は対戦中に「ふさ丸」の他、商船2隻を撃沈している。

昭和20年3月24日
「南方哨戒線/第五千秋丸」
1500過ぎ 南方哨戒線上の特設監視艇「第五千秋丸」は、東方水平線上に彼我不明
     のマスト数本を発見。
     艇長は米機動部隊と判断、緊急電を発した。以後も接触を保つ。
2100過ぎ 航空母艦3隻、巡洋艦5隻、戦艦3隻を次々に確認し、速報した。


敵水上艦艇との交戦   15回
敵飛行機との交戦   179回
敵潜水艦との交戦    88回
海難事故         6回
その他の事故       3回
戦死者数       593名
戦傷者数       257名
沈没隻数        65隻
破損隻数        40隻
      (黒潮会資料による)

[筆者注:未完成稿です]



初稿  2005-06-29
第2稿 2005-07-06 「機動部隊との交戦」を加筆
第3稿 2005-07-09 「第五恵比須丸」を加筆
第4稿 2005-07-13 「工進丸」、「第五千秋丸」を加筆
第5稿 2005-11-03 「ふさ丸」を加筆
第6稿 2006-09-24 第四哨戒隊の戦歴を加筆


宮崎駿 著
宮崎駿の雑想ノート




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