旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-海軍編

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「竜鳳」飛行機隊


〔第一期〕

【完成】
昭和17年11月30日付 (旧潜水母艦「大鯨」を改装)

【基準排水量】
13,360トン

【全長】

【最大速力】

【兵装】
12,7センチ連装高角砲4基

【乗員】

【艦長】
初代艦長   亀井凱夫         大佐 (海兵46期)
二代艦長   松浦 義         大佐 (海兵49期)
三代艦長   高橋長十郎        大佐 (海兵49期)
四代艦長   佐々木喜代治(竜鳳)   大佐 (海兵40期)

【副長】
初代副長   山崎 誉         少佐 (海兵57期)
二代副長   牧内忠雄         中佐 (海兵50期)
三代副長   長嶋繁美         中佐 (海機33期)
四代副長   後藤久英         中佐 (海機35期)
五代副長   星子直明         少佐 (神戸高商船)

【機関長】
初代機関長  村山孝治         中佐 (海機31期)
二代機関長  粟飯原 孝        中佐 (海機32期)
三代機関長  長嶋繁美         中佐 (海機33期)
四代機関長  鈴木貞夫         大尉 (海機49期)
五代機関長  後藤久英         中佐 (海機35期)
機関長代理  古城良多         中尉 (特務士官)

【航海長】
初代航海長  山崎 誉         少佐 (海兵57期)
二代航海長  越口敏男         少佐 (海兵59期)
分隊長    藤原一郎         大尉 (海兵60期)
副長兼務   星子直明         少佐 (神戸高商船)

【砲術長】
初代砲術長  小屋増男         少佐 (海兵57期)
二代砲術長  田口貞人         少佐 (海兵58期)
三代砲術長  近藤矩雄         大尉 (海兵68期)
分隊長    藤田勝雄         大尉 (海兵71期)
分隊長    式田文雄         大尉 (海兵71期)
砲術長代理  伊達弘邦         中尉 (海兵73期)
分隊長    尾形與助         大尉 (特務士官)
分隊長    高地朝太         大尉 (海兵選修学生15期)
砲術長代理  伊達弘邦         中尉 (海兵73期)
四代砲術長  佐藤精七         大尉 (海兵62期)
砲術長代理  伊達弘邦         中尉 (海兵73期)

【通信長】
初代通信長  木戸長三郎        大尉 (海兵62期)
(分隊長代理)山崎           大尉
二代通信長  藤岡健次         大尉 (海兵62期)
三代通信長  入野光夫         大尉 (海兵67期)
四代通信長  近藤信一         少佐 (海兵63期)
五代通信長  横地艦也         大尉 (海兵69期)
通信長代理  星子直明         少佐 (神戸高商船)
電信長    皆川 渉         大尉

【運用長】
初代運用長  坂田小三郎     (?)中尉 (特務士官)
二代運用長  坂本政見         中尉 (特務士官)

【内務長】
初代内務長  城井節生         大尉 (海機46期)
二代内務長  星子直明         少佐 (神戸高商船)

【工作長】
初代工作長  小橋睦三         大尉 (海機42期)
二代工作長  大隈 馨         大尉 (海機45期)
三代工作長  城井節生         大尉 (海機46期)
四代工作長  栗田春生         大尉 (海機49期)
五代工作長  三神 章         大尉 (東京商船學校機関科108期)
第八分隊   原田周三         大尉 (海機48期)
電機     栗田春生         大尉 (海機49期)
       三神 章         大尉 (東京商船學校機関科108期)
       古城良多         中尉 (特務士官)
第十六分隊
機械     古城良多         中尉 (特務士官)
第十七分隊  花田鉄七三八郎      大尉 (高等商船)
缶      川口武俊         大尉 (海機49期)
       鈴木貞夫         大尉 (海機49期)
       古城良多         中尉 (特務士官)

【主計長】
初代主計長  山岸二郎         大尉 (短現2期)
二代主計長  沢田直久         少佐 (短現4期)
三代主計長  塩尻卓夫  (主計長代理)   (短現9期)
四代主計長  松村正一         少佐 (短現3期)
五代主計長  松村源五郎(憲一?)    大尉 (短現8期)
       松崎晴夫少尉(主計長代理)   (特務士官)

【軍医長】
初代軍医   長原(馬場)康夫     少佐 (軍医学校9年卒)
二代軍医長  村井 出         少佐 (軍医学校12年卒)
三代軍医長  菅 清一         少佐 (軍医学校12年卒)
四代軍医長  野村秀喜         少佐 (軍医学校14年卒)
五代軍医長  平岡五三(いつみ)     大尉 (軍医学校16年卒)

【整備長】
(欠)
整備科分隊長 兼子 威         大尉 (海機46期)
整備科分隊長 星子直明         少佐 (神戸高商船)

【飛行長】
小林哲雄  少佐  (海兵55期) 艦上機偵察専修
進藤三郎  少佐  (海兵60期) 戦闘機専修
山下政雄  少佐  (海兵60期) 戦闘機専修

【飛行隊長】
日高盛康  大尉  (海兵66期) 戦闘機専修
岡嶋清熊  大尉  (海兵63期) 戦闘機専修 18年7月15日~ 9月

【戦闘機分隊長】
藤原敬吾  中尉  (海兵68期) 戦闘機専修 18年7月15日~ 8月15日
吉村 博  中尉  (海兵68期) 戦闘機専修 18年9月  ~19年 3月

【艦攻分隊長】
桑田平雄  大尉  (海兵66期) 艦上機偵察専修
平野稚郎  大尉  (海兵65期) 艦上機偵察専修
竹内廉二  大尉  (海兵68期) 艦上攻撃機・操縦

【艦爆分隊長】
野村浩三  中尉  (海兵68期) 艦上攻撃機(?)・操縦

【戦闘機搭乗員】
大嶋末一  中尉  (海兵69期) 戦闘機専修 18年7月15日~ 9月16日 ソロモン(二〇四空)戦死
松本久頼  上飛曹 (操練30期) 戦闘機専修 18年7月15日~
平本政治  上飛曹 (操練38期) 戦闘機専修 18年7月15日~ 7月17日 ブイン
横山雄次  上飛曹 (操練38期) 戦闘機専修 18年7月15日~10月18日 ラバウル(二〇四空)戦死
大谷 貢  上飛曹 (操練41期) 戦闘機専修 18年7月 7日~     レンドバ(飛鷹)
森鳰英雄  上飛曹 (操練41期) 戦闘機専修 18年7月15日~
馬場武彦  上飛曹 (甲飛 5期) 戦闘機専修 18年7月15日~
石川仁郎  一飛曹 (甲飛 6期) 戦闘機専修 18年7月15日~
山本茂太郎 二飛曹 (甲飛 7期) 戦闘機専修 18年7月15日~ 7月17日 ブイン
社本一春  二飛曹 (甲飛 7期) 戦闘機専修 18年7月15日
村田治郎  二飛曹 (甲飛 7期) 戦闘機専修 18年7月15日~
岩瀬治助  二飛曹 (丙飛 3期) 戦闘機専修 18年7月11日~     レンドバ(飛鷹)
鈴木泰二  二飛曹 (丙飛 3期) 戦闘機専修 18年7月15日~     レンドバ
西元久男  二飛曹 (丙飛 3期) 戦闘機専修 18年7月15日~
小川 清  二飛曹 (丙飛 3期) 戦闘機専修 18年7月15日~
田中喜作  二飛曹 (丙飛 3期) 戦闘機専修 18年7月15日~
宮西利雄  二飛曹 (丙飛 3期) 戦闘機専修 18年7月15日~
中囿芳男  二飛曹 (丙飛 3期) 戦闘機専修 18年7月15日~ 7月17日 ブイン
中村克己  二飛曹 (乙飛12期) 戦闘機専修 18年7月15日~ 8月18日 ブイン

【搭載定数】
艦上戦闘機:常用24機 補用7機
艦上攻撃機:

昭和16年12月
潜水母艦「大鯨」より、軽空母への改装に着手。

昭和17年4月
工事中、ドーリットルの空襲の為、軽い損傷を受ける。

昭和17年11月30日
横須賀工厰で完成。
第三艦隊に付属、当初は飛行機は未搭載。

昭和17年12月11日
「トラック飛行機輸送」
南東方面に進出する、陸軍飛行第41戦隊の九九式双発軽爆撃機22機と付属部隊を搭載し、横須賀を出港。

昭和17年12月12日
八丈島付近で米潜水艦「ドラム」の雷撃を受け損傷、引き返し輸送は中止。

昭和18年1月15日付
第五十戦隊(訓練部隊)が新設され、「鳳翔」と共に編入された。[筆者注:2月2日付も説有り]
 軽空母「鳳翔」
 改装空母「竜鳳」
 築城海軍航空隊(艦上戦闘機48機)
 鹿屋海軍航空隊(艦上爆撃機48機、艦上攻撃機48機)

昭和18年2月
修理が完了。

昭和18年3月末
内海西部で新搭乗員の着艦訓練や雷撃訓練の目標艦をつとめた。

昭和18年6月12日
第二航空戦隊に編入
 改装空母「隼鷹」「竜鳳」 [筆者注:7月1日説も有り]

「飛鷹」が敵潜水艦の雷撃を受けた為、「飛鷹」飛行機隊は「竜鳳」飛行機隊となる。(それまで「竜鳳」には飛行隊は付属されて無かった。)

昭和18年6月16日
横須賀を出撃。
「飛鷹」整備員を搭乗させ、トラックに向かう。(岡嶋大尉以下は乗艦)
飛行機隊〔零戦24機、九九式艦爆18機、九七式艦攻9機〕は、「竜鳳」に全機が搭載できないため空輸により、トラックに移動する事に決定。(乗艦組と空輸組に二分?)
飛行機隊は硫黄島、テニアンを経由。

昭和18年6月21日
トラックに進出。
進出後、大分の第一二航空隊出身の、若手搭乗員の練度を上げる為、訓練を開始。

昭和18年7月2日
戦闘機隊はラバウルに経て、ただちにブイン基地に進出。
零戦11機、九九式艦爆13機が進出。

昭和18年7月4日
「レンドバ沖攻撃/第二次陸軍航空隊協同作戦」
零戦49機、陸軍九七式重爆17機、一式戦闘機17機が出撃。[筆者注:「竜鳳」参加機数は不詳]
1200頃 零戦隊がレンドバ島上空に突入、米戦闘機10数機と交戦。(零戦1機がムンダ
    基地に不時着)1230頃 一式戦17機の護衛のもと、九七式重爆17機がレンド
    バ島泊地を攻撃。
    一式戦隊は米戦闘機約30機と空戦を行う。
【編成】
不明[筆者注:調査未完]
【戦果】
撃墜:9(うち不確実2)機
【陸軍戦果】
撃沈:輸送船5隻
その他:艦船に若干の損害を与える
撃墜:14機
【被害】
不時着:零戦1機
【陸軍被害】
自爆:重爆6機
未帰還:戦闘機3機
不時着:重爆2機(泊地付近)

昭和18年7月5日
「竜鳳」飛行隊の残部、零戦20機、九九式艦爆5機、九七式艦攻12機がブイン基地に進出。

昭和18年7月7日
「レンドバ沖攻撃」
零戦43機、陸攻6機が出撃。
レンドバ島の北にあるルビアナ島の敵陣地を攻撃。
米戦闘機約40機と交戦。
【編成】
不明[筆者注:調査未完]
【戦果】
撃墜:15機[撃墜:約20機説も有り]
【被害】
自爆:零戦2機 陸攻2機
【戦死者】
大谷 貢  上飛曹(操練41期)

昭和18年7月12日
「エノガイ敵陣地攻撃」
ニュージョージア島ライス港のエノガイの米陣地を攻撃。

昭和18年7月15日付
「飛鷹」飛行隊の全員は、「竜鳳」に転属の措置が正式にとられた。

昭和18年7月17日
「ブイン基地上空邀撃戦」
零戦43機が二波の戦爆連合(米第13空軍と海兵隊のSBD爆撃機36機/TBF攻撃機35機/F4U戦闘機44機/F6F戦闘機35機等)を邀撃。
【編成】
不明[筆者注:調査未完]
【総合戦果】
撃墜:20(うち不確実1)機
【総合被害】
自爆・未帰還:13機
【戦死者】
平本政治  上飛曹(操練38期)
中囿芳男  二飛曹(丙飛3期)
山本茂太郎 二飛曹(甲飛7期)

昭和18年7月19日
「竜鳳」は、トラックを出港。

昭和18年7月24日
内海西部に帰投。

昭和18年8月1日
「レンドバ泊地攻撃」
零戦38機(「竜鳳」/二〇四空)が艦爆の掩護で出撃。
【編成】[筆者注:調査未完]
不明
【戦果】
撃沈:輸送船1隻 駆逐艦1隻 大発3隻以上
【被害】
艦爆1機

~8月15日
「竜鳳」戦闘機隊
 撃墜戦果  :約30機
二航戦戦闘機隊
 合計撃墜戦果: 48機

~8月末
二航戦戦闘機隊
 合計撃墜戦果: 50数機(うち不確実13機)

昭和18年9月1日付
第二航空戦隊は司令官以下全員が、第二六航空戦隊に転勤した。それに伴い、二航戦艦戦隊は、第二〇四海軍航空隊に吸収され、艦爆隊、艦攻隊は第五八二海軍航空隊に編入された。



〔第二期〕昭和18年9月1日~19年3月4日

【飛行長】
進藤三郎 少佐 (海兵60期) 戦闘機専修 18年9月~19年3月10日 六五三空:飛行長へ

【戦闘機分隊長】
吉村 博 中尉 (海兵68期) 戦闘機専修 18年9月~19年3月10日 六五二空:分隊長へ
清水銀治 飛曹長(甲飛 2期) 戦闘機専修      ~19年2月 7日 ラバウル
石沢義秀 上飛曹(乙飛10期) 戦闘機専修      ~19年1月28日 ラバウル
吉岡実盛 一飛曹(乙飛14期) 戦闘機専修      ~19年1月26日 ラバウル
荒井 弘 一飛曹(乙飛14期) 戦闘機専修      ~19年1月30日 ラバウル

昭和18年9月1日付
第二航空戦隊・司令部〔司令官:城島高次少将〕が再編成され再建に着手した。
内地は訓練用航空燃料が不足していたので、飛行機隊は南方で訓練を行うことになった。

昭和18年10月19日
飛行機隊は、シンガポールに進出。
「竜鳳」は本土とシンガポールを往復し、輸送に当たっていた。

昭和18年11月14日
連合艦隊司令長官が、ラバウル方面の防戦およびギルバート方面の侵攻に対して、二航戦に対して12月上旬までにトラック進出を下令した。

昭和18年12月10日
二航戦飛行機隊はシンガポールよりトラックに進出、待機した。

昭和18年12月22日
「竜鳳」がトラックを出航。

「カビエン派遣」
昭和18年12月27日~昭和19年1月9日
カビエンへの輸送作戦への支援のため、飛行長:進藤少佐以下零戦21機が、カビエン基地に進出。

昭和19年1月1日
「戊三号輸送作戦/往路」
巡洋艦「能代」「大淀」の上空を直衛。
カビエン60度200浬の海面より来襲した、米海軍艦載機を邀撃。
輸送は成功した。

同日
「カビエン上空邀撃戦」
来襲した艦載機を邀撃。

同日
「竜鳳」は内海西部に帰投した。

昭和19年1月4日
「戊二号作戦/帰路」
巡洋艦「妙高」「羽黒」「利根」、駆逐艦2隻の上空直衛。
カビエン東方約180浬の海面より来襲した、米海軍艦載機を邀撃。

同日
「カビエン上空邀撃戦」
来襲した艦載機を邀撃。

昭和19年1月25日
二航戦は司令官以下(「隼鷹」「飛鷹」「竜鳳」)の零戦69機、九九式艦爆18機、九七式艦攻27機が、ラバウルに進出。
[筆者注:定数より零戦7機が少ないのは、カビエン派遣隊の損耗等の補充がついていないため。また、艦爆18機は遅れて進出、艦攻9機が残留した。]

昭和19年1月26日
「ラバウル上空邀撃戦」
戦爆連合約200機が来襲。
二航戦と二五三空の合計92機の零戦が出撃。
【被害】
損失:零戦10機[自爆・未帰還:5機]
【戦死者】
吉岡実盛  一飛曹(乙飛14期)  「竜鳳」 ラバウル

同日
二航戦の九九式艦爆18機がラバウルに進出。

昭和19年1月28日
「ラバウル上空邀撃戦」
戦爆連合約180機が来襲。
零戦64機で邀撃。
【戦果】
撃墜:86機[うち不確実6機]
【被害】
自爆・未帰還:零戦8機
【戦死者】
石沢義秀  上飛曹(乙飛10期)  「竜鳳」 ラバウル

昭和19年1月29日
「ラバウル上空邀撃戦」
戦爆連合約200機が来襲。
零戦68機で邀撃。
【戦果】
撃墜:25機[うち不確実8機]
【被害】
自爆・未帰還:零戦5機

昭和19年1月30日
「ラバウル上空邀撃戦」
2波延べ約290機が来襲。
第1波の約190機を零戦53機で邀撃。
【戦果】
撃墜:13機[うち不確実1機]
【被害】
自爆・未帰還:零戦1機

第2波の約100機を零戦42機で邀撃。
【戦果】
撃墜:33機[うち不確実7機]
【被害】
自爆・未帰還:零戦5機
【同日の戦死者】
荒井 弘  一飛曹(乙飛14期)  「竜鳳」 ラバウル

昭和19年1月31日
来襲した約180機を、零戦51機で邀撃。
【戦果】
撃墜:25機[うち不確実6機]

昭和19年1月
米軍によるラバウル攻撃機数(出撃機数/喪失数)
コンソリデーッテドB‐24「リベレーター」四発重爆撃機 263機/  8機
ノースアメリカンB‐25「ミッチェル」双発爆撃機    180機/ 14機
ダグラスSBD「ドーントレス」艦上爆撃機        368機/  8機
グラマンTBF「アベンジャー」艦上攻撃機        227機/  5機
各種戦闘機                     1,850機/ 65機
   合計                     2,888機/100機

昭和19年2月3日
「ラバウル上空邀撃戦」
2波延べ約220機が来襲。

昭和19年2月5日
「ラバウル上空邀撃戦」
約200機が来襲。

昭和19年2月7日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
【戦死者】
清水銀治  飛曹長(甲飛2期)   「竜鳳」 ラバウル

昭和19年2月9日
「ラバウル上空邀撃戦」
第1波 約200機
第2波   59機
第3波  約38機

昭和19年2月11日
ラバウルに来襲。

昭和19年2月13日
「ラバウル上空邀撃戦」
零戦40機で邀撃。
【戦果】
撃墜:23機[うち不確実7機]
【被害】
自爆:零戦2機

昭和19年2月19日
「ラバウル上空邀撃戦」
約161機が来襲。零戦36機で邀撃。
【戦果】
撃墜:37機[うち不確実6機]
《米軍記録》
撃墜:23機
【被害】
自爆:零戦5機

昭和19年2月20日
二航戦:飛行機隊は零戦37機、九九式艦爆4機、九七式艦攻5機に減少、トラックへ後退した。

この間、「竜鳳」戦闘機隊の撃墜戦果は約40機。
2月中旬頃には実働4~5機となっていた。

昭和19年3月4日付
二航戦の各母艦は固有の飛行機隊が削除され、新たに『第六五二海軍航空隊』が、二航戦に付属し各母艦に搭載することになった。

昭和19年3月23日?
「竜鳳」は鹿児島に入港。
テニアン島に進出する第三四三海軍航空隊の人員、物件を搭載。

昭和19年3月25日?
出港。

昭和19年4月上旬
テニアン着。


【参考文献】
主要参考文献 を参照下さい。

*主要幹部についての詳細な資料がHN:ogaryu50さんよりご提供されました。それにより大幅に加筆することができました。この場を借りて御礼申し上げます。


*ラバウル方面の戦闘記録の昭和19年1月下旬以降のものは、大半が失われていると思われる。(などと書いたのだが、昭和19年1月下旬~2月の戦闘行動調書を手に入れました。でも、時間が無いので何時加筆にはいれるか不明です。2009-07-27記)


[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております]

2005-04-24 〔第一期〕初稿
2005-06-15 〔第一期〕第2稿
2005-06-20 〔第二期〕初稿 
2009-07-29 〔第一期〕第3稿 加筆(主要幹部の項)
2011-02-27 〔第一期〕と〔第二期〕を合体



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