旧軍戦史雑想ノート  航空戦史-海軍編

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神風特別攻撃隊について


神風特別攻撃隊という、人間の尊厳や倫理を無視(命令する側にとって。命令される側は超越と言い換えるべきであろう)して行われた、決死ではなく、必死の航空作戦(もはや、作戦と言えるものではないが)があります。
戦争末期には当たり前の航空作戦のように遂行されていましたが、一体、誰が考え、命令を下したのか。
戦死した幾千の将兵は、戦後になってこれら自分達に死の命令を下した人達により、勝手な解釈により都合よく書かれた記録を読んで何と思うでしょう。(総ての記録がそうなわけではないが、決定版と流布されているものにその様な記録が多い) 国家存亡の危機に、戦死した下級将校(その上、職業軍人より予備士官の方が断然多い)や下士官・兵にはノーブレス・オブリージュ(崇高な義務)があり、職業軍人でありながら、命令を下すのみで生き残った数多くの高級士官達には、それが無かったのか?(発案者とされている大西瀧治郎中将の自決を免罪符としてしまったのだろうか?)。
後に続くものを信じ、国体の護持と日本の勝利を望みながら、自らの命を捧げた崇高な精神と、それを命令した貧困な発想の精神とは同じものなのでしょうか?
いうまでもなく、現在の国体と当時の国体は全くの別物に変わりました。当然、愛国心の発露も昔と今では違う形でしょう。
しかし、過去・現在・未来とも、紛れも無くこの国に住む我々は日本国民であり、国家は日本国なのであります。良いことも、悪いことも、すべて、その国民の歴史なのです。 都合の悪いことには蓋をして、都合の良い歴史解釈がまかり通れば、日本はまた、過去の過ちを何度も繰り返すことでしょう。

私はこの記録を執筆するにあたり、あくまで客観的な記録の累積に努めました。
どこの、誰が、どこで、どのように、どうなったか?を知りたい、記録したい。という私の中にある根源的な欲求がそうさせました。
そこには、当事者でもなく、同時代に生きてもいなかった筆者の個人的な感情や感想など必要ないと思っているからです。
現実世界の事実の積み重ねが歴史であるならば、そこに後から余計な夾雑物など加えないほうが良いに決まっています。

生命を断絶された、膨大な氏名の羅列の中に、それぞれの人生や夢や希望や挫折が詰まっていることを、深く心に刻みたいと思っています。

大西瀧治郎中将の遺書
「特攻隊の英霊に申す、善く戦いたり、深謝す。最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。しかれどもその信念は遂に達成し得ざるに到れり。われ死をもって旧部下の英霊とその遺族に謝せんとす。 次に一般青壮年に告ぐ
吾死して、軽挙は利敵行為なるを思ひ、聖旨に添ひ奉り、自重忍苦する誡めとならば幸いなり、隠忍するとも日本人たる矜持を失う勿れ、諸子は国の宝なり。平時に処し尚よく特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と世界人類の和平のため最善を尽くせよ」






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